スマートフォン版へ

偉大なる競走馬にして偉大なる種牡馬モンジュー

  • 2012年04月04日(水) 12時00分
偉大なる競走馬にして偉大なる種牡馬モンジューが、3月29日朝、敗血症に端を発した合併症のため、繋養されていたアイルランドのクールモアスタッドで死亡した。16歳だった。

 1996年アイルランドで生産されたモンジューは、フランスのジョン・ハモンド厩舎所属馬として1998年9月にデビュー。通算16戦11勝の成績を挙げた。

 3歳春には、まだ距離が2400mだった時代のG1ジョッケクラブ賞(フランスダービー)に優勝して初タイトルを獲得。その後、G1アイリッシュダービー、G2ニエユ賞と連勝して、ヨーロッパにおける芝2400mにおける最高峰のG1凱旋門賞に挑んだ。

 この、モンジューが3歳時に挑んだ1999年の凱旋門賞こそ、レース史上でも屈指と讃えられている名勝負が演じられた競走である。雨の多い秋のパリでもこれほどの降水量はかつてなかったと言われた大雨が降り、その年のG1キングジョージ勝ち馬デイラミや、G1ヴェルメイユ賞勝ち馬ダリヤバら名うての精鋭たちが、泥田のような馬場コンディションの中で次々と戦意を喪失していった中、最後までファイティングポーズをとり続けたのが、1番人気に推されたモンジューと、日本から遠征していたエルコンドルパサーだった。後続を大きく引き離して展開された2頭のドッグファイトは、半馬身差でモンジューに凱歌があがったが、2着馬エルコンドルパサーが「この年の凱旋門賞には勝者が2頭いた」と讃えられたほど、見応えのあるものだった。

 ここで消耗したモンジューは、続いて出走したジャパンCで4着と敗退して3歳シーズンを終えたが、迎えた4歳シーズンの春から夏にかけてモンジューが見せた姿もまた、見ている者が寒気を覚えるほど凄味のあるものだった。G1タタソールズGC、G1サンクルー大賞、G1キングジョージ、G2フォア賞と4連勝。中でも殊更に圧巻だったのが、密集した馬群の中から他馬を弾き飛ばすようにして抜けて来た、タタソールズGCにおけるレース振りだった。ここでモンジューが示した闘争心は、日本の競馬ファンにサンデーサイレンスを想い起こさせたし、馬群を縫って来た器用さには、日本で大活躍していたサンデーサイレンス産駒のレース振りにダブルものがあった。

 実際にモンジューは、馬体の造りもレース振りも、父サドラーズウェルズの典型例とは一線を画す個性を持った馬だった。肩が重くて四肢の捌きも重く、エンジンのかかりも遅い仔が多いサドラーズウェルズ産駒にあって、モンジューは捌きが柔らかく、一瞬にしてトップスピードにもっていける器用さと、爆発的と形容するに相応しい切れ味を持った競走馬であった。

 4歳シーズンの終盤こそ、パフォーマンスが乱れたモンジューだったが、大きな期待とともに2001年にクールモアスタッドで種牡馬入りし、2004年から産駒が走り始めた。

 2002年生まれの初年度産駒の1頭、モティヴェイターが、2歳G1レーシングポストトロフィーを獲得。モティヴェイターは翌2005年の英ダービーを制し、モンジューは初年度産駒から英ダービー馬を輩出することになった。初年度産駒から更に、G1アイリッシュダービーとG1凱旋門賞を制したハリケーンランや、G1セントレジャーを制したスコーピオンらが出現。モンジューは一躍、トップサイヤーの座に登りつめることになった。

 以降、2007年のオーソライズド、2011年のプルモワと、モンジュー産駒からは更に2頭の英国ダービー馬が誕生している他、長距離チャンピオンのフェイムアンドグローリー、2歳チャンピオンにしてBCターフの勝ち馬セントニコラスベイらが輩出されている。

 そして、2012年6月の英ダービーへ向けて、ブックメーカーの前売りで目下圧倒的1番人気に推されているキャメロットもまた、種牡馬モンジューが送り出した傑作と言われている。

 モンジュー産駒について語られている、ほとんど唯一と言って良い欠点が、気性的に難しい仔を多く出す点だった。モンジュー産駒の気性難は、レースを使い込まれるうちに徐々に出て来ることが多く、ことに牝馬には、こじらせて手に負えなくなる馬が少なからず出現。競馬に気持ちが向かなくなって、前扉が開いてもゲートから出ないモンジュー産駒を、私自身何頭か目撃している。自身が持っていた身体の柔らかさや脚さばきの軽さから、日本でも活躍する仔を出すのではないかと期待されていたのだが、それが裏切られた要因も、気性難にあったと見られている。

 16歳という、種牡馬がまだまだ働き盛りの年齢での死去は、関係者にとってもファンにとっても、残念以外の何物でもない。そしてモンジュー自身にとっても、「最高傑作」と言われるキャメロットのダービーを見ずしてあの世へ逝くのは、さぞかし無念であったろう。

 今頃は、2002年に7歳して没したエルコンドルパサーと再会し、想い出話に花が咲いていることと思う。合掌。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング