言葉を介さずに思っていることが人に伝わる、伝えるでなくだ。この以心伝心的な人間関係があれば、穏やかな日常を送ることができる。禅の影響を受けてきた日本人は、伝統的と言ってもいいかもしれないが、何を考えているかを察する人との関係を大切にしてきたところがある。確かに、禅の世界で言う悟りは意味深く、文字や言葉で表すのは難しい。自分が悟るのであって、他から教えてもらうというものではない。だから、何も語らなくても、思っていることが相手に通じるようにしなければならない。「以心伝心」で理解を深めるのだ。言ってみれば、心から心に伝えていくということだ。
この以心伝心を他に求めることがある。それも都合よくである。言わなくとも分かっているだろうと相手に押しつける。これも人間だから仕方ない。しかし、これは無理だ。エゴが潜んでいては以心伝心は存在しない。自然に、心から心へと伝わっていく、そうではなくては。
パドックで馬をよく見る人には、この以心伝心の御利益があるということをご存知だろうか。言葉を介さなくていいのだから、馬の心がこちらに何かを伝えてもおかしくない。
パドックで周回を重ねていくうちに、自分の前に近づくと何かを語りかけてくる気配をある馬に感じる。当然、その馬は、こちらの心を感じ取っているから、それに応えているのだ。そう、どの馬が勝つのかなあという思いに。念が通じるという不思議、それがパドックではたまに起こる。だから、一生懸命に馬を見ると言ってもいい。
これは、正確には以心伝心とは言えないが、命あるもの、心あるもの同志なら、どこか相通じるものがあるのではないか。パドックで馬見を体得したという悟りの心境に到達できなくとも、一度でもいいから心を通わすことがあったという体験は、競馬好きの経歴を立派にしてくれる財産と言ってもいい。