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らしかった皐月賞

  • 2012年04月21日(土) 12時00分
 去年は震災の影響で東京開催にスライドされたため、三冠競走の皮切りとなる皐月賞が中山競馬場で行われたのは2年ぶりのことだった。

 現場に行ってつくづく思った。やはり中山でやってこそ皐月賞らしくなるな、と。

 それがはたしていいのか悪いのかの議論はさておき、中山芝2000mは、実力馬が力を出し切れずに終わったり、対照的に伏兵が驚くほどのパフォーマンスを見せたりすることの多いコースである。さらに、馬場が悪化する4月半ばの開催という厳しい条件が重なる。馬場に関しては毎年同じことが言われているが、2月から開催がつづくことと、芝がこれから生育する時期であることを考えると仕方がないことである。ガーデニングでも盆栽でも、植物をちょっとでも育てたことのある人ならわかると思うが、春になり、やっと芽吹いたとき馬に踏んづけられるわけだから、こりゃもうたまらん、としか言いようがない。

 といったことを考慮してもなお、今年の皐月賞当日の芝コースは極端だった。

 前日、関東地方は朝からジャンジャカ降りの雨だった。夕方には雨が上がって、翌日、皐月賞当日は抜けるような青空がひろがり、中山競馬場の芝もダートもどんどん乾いていった。それでもダートは不良、芝は重発表のまま午前中のレースが行われた。午後になっても、騎乗したジョッキーによると、芝の内側は足をとられるというより滑りやすい状態がつづいていたという。第8レース、芝1200mの袖ヶ浦特別では8枠15番の武豊・ウインバンディエラが、9レース、芝2000mの鹿野山特別では8枠9番の福永祐一・ヤマニンシャスールが外から鋭く伸び、内で伸びあぐねていた馬たちをかわして勝利をおさめた。

「直線は、馬場の真ん中でも下が悪いらしいよ」

「皐月賞のゲートを出てすぐのスタンド前、内枠の馬は行くか、下げるかしないと、いいところを走れないだろうなあ」

「この様子だと、外に馬が殺到して審議になるかもしれないね」

 そうした声が検量室前で聞かれた。

 皐月賞の前、稍重発表にはなったものの、10番枠あたりを境に、内と外ではかなり馬場状態が違うように見受けられた。

 ――外ラチ沿いを伸びた馬が勝つ、なんてこともあるんじゃないかな。

 とまで思われた皐月賞を制したのは、3、4コーナーで内に飛び込んで一気にポジションを上げた、内田博幸・ゴールドシップだった。

 内田騎手は「馬が気にしていなかったからあそこを通ることができた」「馬が強いからできた」と繰り返したが、彼のとっさの判断力と、即座に馬を動かす技術があってこその勝利であった。

 ワールドエースは、直線が310mしかない中山で、これだけ外が有利と思われた馬場状態だったがゆえの離された2着、という感じがする。あれだけ大きくつまずいたのに落馬しなかった福永騎手も、4コーナーで「超大外」を回りながら猛烈な加速を見せたワールドエースも立派だった。上がり3ハロンはゴールドシップの34秒6に次ぐ34秒9だったが、34秒台はこの2頭だけだし、勝負どころでの最高速度はワールドエースがトップだったのではないか。さすが、生産者の吉田勝己氏が「サラブレッドの見本のような馬」と評するディープ産駒である。

 最終の第12レース、芝1600mの春興ステークスでも外を通った8枠14番、福永祐一・ミヤビファルネーゼが勝ったが、内ラチ近くを走った馬たちも、それまでのレースとはうって変わって、ゴール直前まできわどく粘っていた。この時間は、5分、10分の単位で馬場が乾き、滑りにくい状態になっていたようだ。第11レースの皐月賞のときも、その前に行われた芝のレース、第9レースから1時間15分が経過していた。案外、みなが警戒したほどひどくはなかったのかもしれない。となると、ゴールドシップは「時間の経過」まで味方につけたとも言えそうだし、内田騎手もそのあたりを計算してあそこを通ったのかもしれない。

 さて、本稿がアップされる前日、4月20日の金曜日、私は福島県の相馬市と南相馬市で被災馬取材をする。そして、前回書いたように翌21日は福島競馬場に行き、約6年ぶりに福島に参戦する武豊騎手の騎乗と、現地の盛り上がり方を見てくるつもりだ。

 時間は前後するが、皐月賞の日、私が検量室周りをうろうろしていたのには、純然たる取材以外にも理由があった。

 去年の初夏、私は20日に取材する南相馬市の被災馬繋養先の一軒を、武豊騎手とともに訪ねたことがあった。そこにいた人馬と彼を撮った写真があるのに、データとしてパソコンに入ったままになっていた。それをプリントアウトし、武騎手にサインしてもらってお土産にするため、皐月賞の前、レースの合間に声をかけようとしたのである。無事にサインしてもらったのだが、4枚のうち1枚のサインは、私が彼にわたしたペンが細すぎたため、一見バッタ物に見えなくもない。その言い訳をしながら先方に写真をわたし、被災馬の様子を見聞きする取材も、みなさんがこれを読んでいるときには無事に終了しているはずである。

 さっき、JR東日本の「大人の休日倶楽部ジパング」の編集者から久しぶりに連絡があった。シリーズでやっている「東北復興応援ページ」の企画として相馬野馬追はどうかと話しておいた。それも上手く行ってほしいと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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