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イギリスの重賞で「シンザンが消えた!」再び

  • 2012年05月02日(水) 12時00分
 日本と香港で、見逃せないレースが行なわれた先週の週末だったが、今からでもよいのでぜひ映像を御覧いただきたいレースが行なわれたのが、イギリスだった。

 いよいよ平地シーズンが本格化してきた中、ロンドンの中心地から南東方向に15マイルほどという至便な立地条件にあるサンダウン競馬場で、4月28日(土曜日)に行なわれたのが、3歳馬による距離10F7yのG1クラシックトライアルSだった。これからイギリスでは各地で、6月2日にエプソムで行われるダービーへ向けてのプレップレースが行なわれていくが、その皮切りとなる重賞競走である。

 1986年、シャラスターニがシーズン初戦として走ったのがこのレースだった。ここを白星で通過したシャラスターニは、続いてヨークのダンテも連勝。その後、英国と愛国のダービーを連覇している。

 1997年には、このレースで2着となったベニーザディップが、次走、ヨークのダンテSに優勝。その後英ダービーに向かい、見事にダービー制覇を果たしている。

 折りからの雨でHeavy(不良)という馬場状態になったからか、今年のクラシックトライアルSは4頭立てという少頭数で争われた。

 2.375倍の1番人気に推されたのが、A・オブライエン厩舎のインペリアルモナーク(牡3、父ガリレオ)。兄に英ダービー2着馬ザグレートギャツビー、姉にG1ヨークシャーオークス3着馬ローマンエンプレスがいる同馬は、2歳秋にタタソールズ・オクトーバーセールに上場され、クールモアの代理人が21万ギニーで購買。昨年9月にカラのメイドン(8F)でデビューを飾った後、シーズンオフに入り、ここが今季初戦(通算2戦目)だった。

 オッズ3.75倍の2番人気に推されたリチャード・ハノン厩舎のルージュモン(牡3、父モンジュー)は、タタソールズ・ディセンバー・フォールセッションにて13万ギニーで購買された馬だ。2歳時の成績は4戦2勝。ニューマーケットのメイドン(7F)と、レスターの条件戦(9F218y)で勝ち鞍を挙げているが、重賞出走経験はなかった。前走、ニューマーケットで開催されたタタソールズのボーナスレース(10F)で勝利を収め、ここへ臨んでいた。

 オッズ4.5倍の3番人気が、ヘンリー・セシル厩舎のスティピュレイト(牡3、父ダンシリ)。カリッド・アブドゥ−ラ殿下のジャドモントファームによる自家生産馬で、2歳8月にレスターのメイドン(7F9y)でデビュー勝ちした後、準重賞を2戦して4着・3着の成績で2歳シーズンを終了。前走今季初戦となったニューマーケットのLRフィールデンS(9F)を制して、ここへ臨んでいた。

 オッズ5.5倍の4番人気が、ジョン・ゴスデン厩舎のソートワーシー(牡3、父ダイナフォーマー)。ジョージ・ストロウブリッジ氏の自家生産馬で、全兄に07年のセントレジャー勝ち馬ルカーノがいるというスタミナ血統を持つ。昨年10月にニューキャッスルのメイドン(8F3y)でデビュー勝ちした後、シーズンオフに入り、ここが今季初戦だった。

 好スタートからハナを切ったのはインペリアルモナークだったが、ソートワーシーが並びかけて来ると先に行かせ、インペリアルモナークは2番手に控え、3番手スティピュレイト、4番手ルージュモンという隊列が出来上がった。

 これが崩れたのが、スタートから3Fほど進んだ辺りだった。サンダウン競馬場の向こう正面中ほどには、外埒側に引き込み線が設置されているのだが、これを過ぎると、インペリアルモナークの鞍上ジョゼフ・オブライエンが、少しでも馬場の良い路面を求めて、馬を外埒沿いに誘導。馬場の内目、埒から3〜4頭分を開けた辺りを通るライバルたちを尻目に、インペリアルモナーク1頭のみが、緊急車両が通行するために外埒沿いに設えられたアスファルトの道路ぎりぎりに進路を取るという、エンタープライジングな競馬をすることになった。

 サンダウン競馬場に御出掛けになったことにある方ならご存知と思うが、ヨーロッパの競馬場にしては3〜4コーナーのカーブがきついのがサンダウンだ。見取り図でみると、3〜4コーナーがまるでヘアピンのように見えるサンダウンの3〜4コーナーに差し掛かった時、見ていた観衆は当然のことながら、ここはインペリアルモナークも距離損をなくすために内に進路をとるものと思った。ところが?!。ジョセフ・オブライエンはなんとここでも、悠々と外埒沿いの競馬を続けたのである。

 そのまま馬群が直線に向くと、ここでも大外に進路をとったインオペリアルモナークの姿は、コースの外に植えられた木々に遮られ、スタンドから見ていたファンの視界から消えた。そして、中継していたテレビ画面からも、同様にしてインペリアルモナークの姿は消滅したのである。

 筆者が思い出したのは、47年前の昭和40年、中山競馬場を舞台とした有馬記念だった。大本命のシンザンをなんとか負かそうとしたのが、ミハルカスに乗る闘将・加賀武見で、4コーナーでシンザンがミハルカスの外に並びかけて来ると、わざと進路を大外にとってシンザンを外埒沿いに誘導。スタンドに居たファンの視界から、しばしミハルカスとシンザンの姿が消え去るという「事件」が起きた。しばらく後、再び2頭が視界に入って来た時には、シンザンがミハルカスの半馬身前に出ていて、観衆が安堵のため息を漏らしたという、日本競馬史に残る伝説のレースである。

 シンザンとミハルカスが視界から消えていたのは、ほんの数秒のことだったと記憶しているが、インペリアルモナークの姿がテレビ画面から消滅していた時間は、20秒を越えていた。カメラは、内埒沿いでつばぜり合いをする3頭のみを捉え続けたのである。

 残り2Fとなって、ゴール地点に設置されたカメラに切り替わると、ようやく大外を走るインペリアルモナークの姿を画面が捉えた。内外大きく離れていたので、正確なところは判らなかったが、その段階ではまだ、インペリアルモナークと内を走る3頭との間には、2〜3馬身の差があったと思う。

 そこからジョゼフ・オブライエンの叱咤に応えて、インペリアルモナークは徐々に挽回。結局、真っ先にゴールに飛びこんだのは、インペリアルモナーク。1.3/4馬身差の2着がソートワーシーで、そこから9馬身離れた3着がルージュモン。スティピュレイトは道悪に戦意を喪失したか、3着馬から31馬身遅れの4着に終わった。 

 馬場が悪くなった時、直線は大外を通るというのは、サンダウン競馬場で時々見られる戦法だ。例えば、ダービー馬オーソライズドと前年の3歳王者ジョージワシントンの対決が大きな話題を呼んだ、07年のG1エクリプスS。直線に入ると、馬場の内目で2頭が2頭だけの競馬に没頭するのを尻目に、大外を突いた伏兵のノットナウケイトがまんまと勝利を収めるという競馬があった。

 だが、3〜4コーナーを含めて終始大外を廻るという競馬は、見たことがなかった。弱冠18歳のジョゼフ・オブライエン、恐るべしである。

 大きな距離損をものともせずに、2連勝で重賞初制覇を果たしたことを受け、大手ブックメーカーは、ダービーへ向けたアンティポストで、インペリアルモナークに13〜21倍のオッズを掲げ、キャメロットを追う2番手グループの一角に浮上させることになった。

 前述したように、兄姉に芝12Fの活躍馬がいる他、おじにもダービー2着馬ブルースタッグがいるインペリアルモナーク。「ダービー惜敗血統」とも言えるが、母の父スリップアンカーもスタミナの権化ゆえ、本番当日もこの日のような道悪になるようなら、更に評価が高まることになりそうである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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