良血ジョワドヴィーヴルを倒してチューリップ賞を勝った、オレハマッテルゼ産駒のハナズゴール。この血統の力を見事に見抜き、競走馬として走らせたのが、オーストラリア出身、競馬場でのサングラス姿が印象的なマイケル・タバートオーナーです。名門京都大学卒業、競馬とダビスタをこよなく愛する異色のオーナーが、奥様の花代さんと共に登場です!
東 :オーストラリアのご出身ということですが、日本語も、関西弁もばっちりですね。
マイケル :あはは(笑)。日本には合計で17年か18年くらいいますので、人生の半分ぐらいになりますね。
東 :かなり長いですね。そもそも、日本に来られるきっかけというのは?
奨学金で日本に留学しました
マイケル :高校で日本語を勉強していて、卒業後は大学に行って経済を勉強しようと思っていたら、日本でかなり良い条件の奨学金制度があったので、それを利用して日本の大学に行こうって。最初1年間は大阪外国語大学で勉強して、その後成績順で東京大学だったり京都大学だったり国立大学に行くという奨学金だったんです。
東 :それで京大へ行かれたんですね。すごい。日本には、高校を出てからずっといらっしゃるんですか?
マイケル :大学を卒業してから1回オーストラリアに帰って、今の会社のシドニー事務所に入ったんですけど、「東京に行かないか」と言われて、それで東京に2年、その後01年から大阪にいます。
東 :じゃあほとんどが大阪なんですね。日本に初めて来た時の印象っていかがでしたか?
マイケル :最初は、高校1年生の時にホームステイで来たんです。姉妹学校という関係で、福島県の小さな町に行ったんですけど、着いたらいきなり町で一番大きい道をみんなでパレードすることになって。何か有名人になったみたいでした。それがすごかったというのが、第一印象です(笑)。
東 :「留学生が来たぞ」という感じで盛り上がったんですね。その留学はどれくらいの期間だったんですか?
マイケル :2週間なんですけど、それを3年間連続です。日本語を勉強しているから、ホームステイに行った方が点数が良くなるんです。「そうしたら、あんまり勉強せんでえぇやん」って(笑)。
花代 :大学では英語の授業を取っていたんですよ。
マイケル :しかも落ちましたけど(笑)。
英語の授業で落第!?
花代 :なぜなら出席しないといけないから、ってこんなこと言ったら(笑)。
東 :あははは(笑)。ご経歴を見るとすごいエリートなのに。
マイケル :エリートの方でお願いします(笑)。
東 :はい(笑)。その、大学で授業に出てない間というのは、競馬に行かれたり?
マイケル :そう。競馬と飲みに行っている4年間でした。ダビスタも死ぬほどしていましたね。大学生活と言ったらそれしか覚えてないぐらいです。あれはもう、すごいゲームだなと。
東 :じゃあ、大学時代は競馬にのめり込んでいたんですね。講談師の太平洋さんと当時からのお知り合いだそうですが?
マイケル :太平洋さんは外大の時に学生会館のロビーでなぜか話しかけられて、そこから何か仲良くなって、競馬にも連れて行ってくれたりして。
花代 :阪神競馬場のGIで、前日から並んだって。
ビワハイジの仔ジョワドヴィーヴル
マイケル :そうそう。阪神3歳牝馬S、今で言えば阪神JFですね。ビワハイジが勝った年で。それでこの前のチューリップ賞では、ビワハイジの子ども(ジョワドヴィーヴル)に(ハナズゴールが)勝ったと。
花代 :何か運命を感じるね。
マイケル :うん。確かビワハイジは、太平洋さんがペーパーで持っていたんじゃないかな。だから、その時はすごく悔しかったんですけど。
東 :太平洋さんとその頃からお付き合いがあるっていうのは濃いですね。
マイケル :今は結構売れていますけど、当時はまだ無名に近い感じで、ただの競馬好きでした。(競馬ライター)棟広良隆も大学の時の後輩で、ただの競馬好きでした(笑)。
東 :それが、今それぞれが競馬のお仕事に関わったり馬主になれたり。すごいですね。
マイケル :馬主には昔からなりたくて、「いつかダビスタを本当の世界でやる」ってずっと言っていたんですけど、みんな信じてくれなくて。
東 :あはは(笑)。でも、実現されたんですもんね。話は戻りますが、競馬との出会いはオーストラリアにいた頃から?
マイケル :はい。うちの親が競馬好きでずっと見ていたのと、祖父が牧場の場長だったので、夏休みによく遊びに行ったりして。向こうではどこでも馬に乗れますよ。普通に家に馬がいるっていう人、いっぱいいます。
東 :オーストラリアで馬を持って走らせていたとお聞きしたのですが?
マイケル :日本でムーンロケットという馬を譲ってもらって、それを種牡馬にしたんです。
東 :マイケルさんがオーストラリアに連れて行って種牡馬にされたんですか!?
マイケル :そうです。ムーンロケットはオーストラリアの人気血統で、ペーパーで取っていたんです。それで競馬を注目して見ていたら、新馬戦を圧勝したんですけど、次のレース中に故障したみたいで引退って。それだったら譲ってもらえるかなと思ってノーザンファームにいきなり連絡して。そうしたら、「いいですよ」って。
東 :向こうもまさか直談判されるとは。
マイケル :でも、その時はすごく親切にしてもらったんです。施設を案内してもらったり、貴重な経験をさせてもらいました。それで繁殖牝馬も買って、種付けして、その子どもの何頭かは自分で持っていたんですけど、残念ながら子どもが走る直前にムーンロケットは死んでしまいました。生きていたら結構成功していた方だと思うんですけど……まあ、大赤字で終わりました。
東 :そこまでの行動力をかき立てるものがあったんですね。オーストラリアは、馬主資格はないんですか?
マイケル :はい、誰でもなれますよ。審査とかも全然ないです。テイクオーバーターゲットって、日本のスプリンターズS(06年)を勝った馬。あれはタクシーの運転手が15万ぐらいで競りで買って、そのまま庭に置いていて、5歳ぐらいでデビューさせたらめっちゃ強かったっていう。
東 :そんなことってあるんですね。馬に対する考え方が全然違いますね。競馬もやっぱり違うんですか?
マイケル :まず、どんな馬券でも買えます。勝つ馬を当てる馬券もあるし、負ける馬を当てる馬券も買える。オーストラリアでは、常にどこかでレースがあって、みんないろんなかけ方をしている。数分おきにレースがあるから、1レース1レース、1頭1頭、ちゃんと検討している人はほとんどいないんじゃないかな。番号だけで買ったりする人もいるし。だから、日本の競馬はすごくいいんですよね。みんなが1頭1頭をよく知っているし。
東 :馬券を買う時はすごく考えますね。
マイケル :そういうの、すごくいいと思うんです。僕はどっちかと言うと、ギャンブルよりは本当に競馬が好きなので。だからすごく日本の競馬が好きです。(Part2へ続く)
◆マイケル・タバート
1975年1月12日、オーストラリア出身。シドニーの近くのニューカッスルの高校で日本語を学び、日本へ留学。大阪外国語大学の日本語コースで1年間勉強した後、京都大学経済学部経済学科に進学。卒業後は母国で会計事務所に入社。99年、東京事務所への転勤で再来日。01年からは大阪事務所へと移り現在に至る。09年に馬主資格取得。11年8月にノアノア号で初勝利。12年3月、ハナズゴール号でチューリップ賞を制し重賞初勝利を挙げる。冠名のハナズは奥様「花代」さんの名前からとったもの。