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私の願い事

  • 2012年07月07日(土) 12時00分
 先週から今週にかけて、栃木県高根沢町の御料牧場、府中の奥平真治元調教師のお宅、千葉県成田市の三里塚記念公園、その近くの出羽牧場を、7月12日オンエアのグリーンチャンネル特番のロケで訪ねた。

 三里塚記念公園は、昭和7年に行われた第1回日本ダービーの勝ち馬ワカタカをはじめ、6頭ものダービー馬を生産した下総御料牧場の跡地にあり、かつての牧場事務所が三里塚御料牧場記念館として公開されている。

 敷地内には昭和天皇のためにつくられた防空壕があり、私もカメラと一緒になかに入ってきた。戦時中の競馬や社会的背景などについてあれこれ知ったようなことを書いておきながら、防空壕に入ったのは、これが初めてのことだった。今この稿を書いている札幌の生家の窓から入り込んでくる風の肌触りが、防空壕の入口から地下への階段を数歩降りただけで感じられた空気を冷たさを思い起こさせ、何やら不思議な気分になってくる。

 私が札幌入りした7月4日、水曜日は満月だったらしい。残念ながら当地は曇っていたので見られなかったが、満月に願い事をすると叶うという話を、このところ聞くことが多くなった。昔から、流れ星を見つけてから消えるまでの間に願い事を3回繰り返すと叶う――というやつが知られているが、そもそも流れ星を見ること自体めったにないし、仮に見たとしてもあっと言う間に消えてしまうので、とても願いを3度繰り返すことはできない。これはだから、「願い事が簡単に叶うなんて都合のいいことはないんだよ」という寓話的な意味合いもあるのだろうが、同時に、「不意に訪れたチャンスにすぐさま3度繰り返せるほど強く願っていれば、いつかきっと叶う」というポジティブな受け止め方もできる。

 それに対して、満月はほぼひと月に1回のペースで見られるので、そのとき晴れていて、忘れさえしなければ願い事ができる。こちらは、「規則正しく機会を待って、準備万端整え、コツコツつづけること」の大切さをわかっていれば願いが叶う――というふうに解釈できなくもない。

 もし私が「願い事は?」と訊かれたらどう答えるだろう。

 大金持ちになりたい……いや、節税対策が面倒だし、使わないとケチだと言われ、遣いまくると成り金と言われるだけだから、いい。

 容姿を整形手術では不可能なレベルにまで整えたい……自分の外観に満足しているわけではないが、あまり男前になって自分だとわかってもらえないと悲しいから、いい。

 タイムマシンで過去に戻りたい……いや、どうせまた物書きとしてしか生きていけないだろうから、これまで出してきた本を繰り返しヒーヒー言いながら書く辛さを味わうのは嫌だ。

 ある人物に社会的制裁を加えたい……いや、それは他人や神様に頼むたぐいのことではなく、必要だと思ったら自分でやるから、いい。

 空を飛びたい。瞬間移動がしたい。透明人間になりたい。ほかの星に行きたい……子どものころは願っていたが、いつの間にか考えなくなった。

 ……とやっていくと、特に願い事らしい願い事が思いつかない。かといって、自分が思い通りの人生を歩んでいると思ったことは一度もないのだが。

 もちろん夢はある。けれども、それを口に出すと自分にとっての価値が下がり、余計に叶いにくくなるような気がするので、叶ってから「夢でした」と言ってみたい。

 前行まで書いてから飯を食い、また考えてみたのだが、目先の小さな願い事なら、わりとたくさんある。とりあえずは、週末の馬券を当てたいし、次が連載5回目となる、当サイト月曜夕方6時更新の競馬小説「絆」が人気作品になってほしい。その他、今自分が関わっている企画がシリーズ化されてほしいし、個人的なことでは、入院中の両親に早く退院してもらいたいと思う。

 が、こうして書いてあらためて思うのは、すべて自分の力だけで完全に叶えることはできないにせよ、叶う方向に動かすことができるものばかり、ということだ。また、叶わない方向に動かすこともできるものばかり、でもある。

 書いているうちに「願い事」ってどういうことなのか、「願う」ってどういうことなのか、よくわからなくなってきた。

 私が「願う」とみなしていることは、どうやら「誓う」に置き換えられることばかりのようだ。「馬券が当たってほしい」は「当てることを誓います」だし、「絆が人気作品になってほしい」は「人気作品にすると誓います」とイコールだ。「そうすることを誓うから、神様どうぞ見守ってください」と思うことが、私にとって「願う」ことになっているような気がする。

 これが「明日晴れてほしい」とかなら、私が誓って天気がどうこうなることはないので純粋な「願い」に近いのだろうが、そう願ったとして、晴れたら「ああよかった」、雨が降ったら「参ったなあ」くらいで済ませてしまう。結果によっていちいち神様に感謝したり、天を恨んだりはしない。

 今気づいたのだが、私は、自分の力の及ばないことにあまり左右されないよう、処世術として「願わないようにする」ことを行動規範としてきたようだ。急に変えることはできないし、変える気もないが、もうちょっと「願い」を日常にとり入れて、いろいろなことに感謝したり、喜んだり、ときにはガッカリしたりすると、今とは違ったテイストのものが書けるようになるのかもしれない。

 本稿がアップされる7月7日は七夕である。2年ぶりに福島で行われる七夕賞が、伝統のハンデ戦にふさわしい熱戦になることを願いながら、予想をしよう。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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