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アジア競馬会議とは

  • 2012年07月14日(土) 12時00分
 この稿がアップされる翌日、7月15日の日曜日、アジア競馬会議(ARC=ASIAN RACING CONFERENCE)に出席するためトルコのイスタンブールに旅立つ。午前中に出国するので函館記念を見られないのは残念だが、今年で34回目を迎えるARCは、「会議」という形式的な響きとは裏腹に、討議されるテーマが明快かつ具体的かつ面白そうなので、ずっと前から楽しみにしていた。

 日本が音頭をとって1960年にスタートした、このARC。前回は2010年にオーストラリアのシドニー、その前は08年に東京、07年ドバイ、05年韓国……と、1年半か2年に一度ほどのペースで開催されている。

 16日、月曜日に参加者受付が行われ、翌17日の会議はメディア非公開なので出席することはできないが、18、19、20日は午前9時半から午後5時(20日は4時)まで、2度の休憩と昼食をはさんでビッシリ会議がある。JRAの佐藤浩二総括監が議長をつとめるパートは必須として、そのほかは興味のあるものだけ出席してもらえれば構わないと担当者に言われているのだが、前回シドニーで行われた会議に日本のジャーナリスト代表として出席した鈴木淑子さんに訊いてみると、「全部出てみたら全部面白かった」とのこと。何に関しても貧乏性の私は、「見逃した悔しさ、聞き逃して材料を集めそこねた後悔」を味わうぐらいなら、多少の眠気や腰痛を我慢してでも出席することになりそうだ。

 参考資料として、JRAから『第一回アジア競馬会議の記録』という、ハードカバーで60ページほどの写真集のような冊子を借りてきた。あくまでも「記録」なので非売品だが、これがなかなか面白い。まず外観からして洒落ており、カバーには、明治初年の円山派画家・飯島光峨の模本からとった、水辺で戯れる数頭の在来馬が描かれており、題字はJRAの酒井忠正理事長(当時)によるものである。

 第1回ARCは、1960年5月下旬に行われ、コダマが優勝した第27回日本ダービーを観戦したのち閉会式が行われた。同年秋に出されたこの冊子には議事録が載っており、この会議の正式名称を決めたり、ドーピング違反の種類や、それに対する罰則を発表し合ったり、日本もまもなく導入しようとしていたスターティングゲートを先に使用していた国々から問題点(ゲートに入らなかった馬への処分など)が挙げられたり、各国が頭を悩ませていた非合法ブックメーカー排除における場外馬券場設置の有用性について日本代表が発表したり、飼料の入手先や輸出し得る品目や価格について情報を共有したり……と、1回目から単なる親睦会ではなかったことがよくわかる。

 なかには、「アジア競馬会議を翌年以降もつづけるなら、その前にアジア競馬協会を結成すべきだ」という議論で感情的になっている代表がいたり、代表によって母国でのポジションが違うため、決定権に差のあることがわかったりと、読み物としても楽しめた。

 さて、私が行く予定のイスタンブール・ヴェリエフェンディ競馬場では、今年7月11日に「トルコジョッキークラブ国際騎手招待競走」が行われ、川田将雅騎手が参戦したので、なんとなく聞き覚えのある方も多いはず。

 2001年には武豊騎手も、岡部幸雄氏につづく2人目の日本人騎手として騎乗している。

 また、トルコでは2008年からディヴァインライトが種牡馬として繋養されており、初年度産駒が早くも重賞勝ちを達成するなど、意外と日本とのつながりがある。

 そのあたりも含めて取材し、経済的な成長をつづけるトルコの空気に触れ、トルコ競馬とARCを楽しんできたい。

 次回は現地で撮影した写真付きのリポートというか日記(どちらになるかは拾えた材料と気分次第だが)にしようと思っている。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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