第79代・日本ダービー馬に輝いたディープブリランテ。そのダービー制覇に至るまでの様々な葛藤やそれを乗り越えたエピソード、そして休む間もなく動き出したキングジョージ6世&クイーンエリザベスSへの遠征プラン。それらの真相・深層について、競馬界にセンセーショナルな話題を提供し続ける異端の調教師・矢作芳人調教師が激白する。(取材:古澤秀和)
「形、皮膚がどうこうとかではなく雰囲気」
『信は力なり』
矢作が座右の銘としている言葉だが、今回のディープブリランテによる日本ダービー制覇は、正にその言葉を体現して、いや、体現し切って手に入れた栄冠だと筆者は強く思う。あのハナ差のダービー制覇に至るまで、それだけの葛藤があった。
矢作がディープブリランテに出会ったのは、彼が産まれて間もない頃。その一頭の仔馬に矢作は一目惚れしたと言う。
「形がどうこうとか、皮膚がどうこうとか言うのではないな。雰囲気」その雰囲気が後のダービートレーナーの感性に訴え掛けてきたのだ。
その仔馬はセレクトセールに上場され、当然矢作サイドは獲りにいったが、競り合った相手がノーザンファームでは分が悪い。競り合うも、敗れてしまった。しかし矢作は諦めず、敗れた相手であるノーザンファームに「うちでやらせて下さい」と頼み込んだ。そこまでしてこの一頭の仔馬を矢作は欲しかったのだ。そして、ディープブリランテは有限会社サンデーレーシングの所有馬として矢作厩舎に入厩することとなった。
完調とは言えない状態でデビューV
入厩当時は骨瘤を気にしたり、脚元と相談しながらの調整だった。そして迎えたデビュー戦。ディープブリランテは4コーナーで早くも先頭に並びかけると、あとは力強いフットワークでグングンと後続を引き離した。まだ完調とは言えない状態での圧勝。確かな能力を感じさせる、衝撃のデビュー戦だった。
続く東京スポーツ杯2歳Sは不良馬場でのレースとなったが、それすらも全く苦にせず、道中で掛かって早めに先頭に立ちながらも、楽々と突き放す圧勝劇。世代屈指の能力を持っていることを強く印象付けた。暮れのラジオNIKKEI杯2歳Sをスキップして臨んだ共同通信杯。「何故、東京ばかり使うのか。きさらぎ賞ではないのか」という声に対して、矢作はこう語る