昨今、G1が開催される度に気になるのはその勝敗以上に馬の安否になりつつある。
直近では皐月賞のフェイムゲーム、カミノタサハラ、VMのサウンドオブハート、そしてフミノイマージン
先日はジョワドヴィーヴルが調教中に故障し、たった今(5/30)フィフスペトルも故障という悲報が入った。
そしてフミノイマージン、ジョワドヴィーヴル、フィフスペトルはすでに故障から予後不良となり、安楽死処分となった。
競馬が人間のスポーツ、また娯楽である以上、その中で生かされる馬の命は人間の手中だ。
生かされるも殺められるのも。
ただ現実、故障した馬はその患部や重症度によって自立していられない。だから「安楽死」という選択肢が選ばれる。
すると、一部では動物愛護の観点から道義的ではないと批判があがる。
しかしこれは、「どうしようもできない」ことなのだ。
以前、知人の関係者から聞いたことがある。「何度味わっても慣れることなんてできない、本当に辛い」と。特に競走馬の価値は血統と勝ち数ではかられるのが厳しい現実である以上、故障は致命的すぎる。故に、安楽死処分は「仕方のない結論」となる。
競馬は人間の賭け事というエゴだと言うならば、自立できない馬を固定し、強制的に生かすことはどうだろうか。
人間の安楽死は患者が人間であるから、その生死の選択に様々な人の意志が介在する。しかし馬は、他の動物は、悲しいかな言葉を持たない。
故障した馬がその意思を言葉では表現できないのなら、その痛々しい姿と自立できない現実を、せめて人間が汲み取ってあげることが最善の思いやりなのではないか。
広義にファンも競馬関係者と自覚するならば、ただ動物愛護を掲げるよりもエゴだと憤るよりも、この現実を受け入れて、不治の故障になった馬を想い、弔い、記憶に留めていくこと、その勇姿を忘れないでいることが、我々にできることであり、もし各自、競馬と競走馬のこれからを考える余裕があるならば、無事引退した競走馬を支援するNPO団体に募金やボランティアをするというのも一つの選択肢だと提案したい。
競馬を愛するたくさんのお友達から素敵な言葉を頂戴できたことで、このようなかたちで表現しようと思いました。この場をお借りして皆様に日頃の感謝を。ありがとうございます。
競馬大好き。競馬はドラマです。馬も人も頑張りの結晶。それがあの一瞬に詰まってる。それが素晴らしい。元気の源。心の支えです!女性として尊敬するのはウォッカ!結婚するならエアシェイディ...
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