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週刊サラブレッドレーシングポスト

  • 2003年04月28日(月) 17時42分
 4月22日から24日まで、オーストラリアのシドニーで開催された『イングリス・イースター・イヤリングセール』は、総売り上げが前年比15.1%ダウンの5518万ドル(豪ドル、以下価格は全て豪ドル)、平均価格が前年比9.5%ダウンの145,430ドル、中間価格が前年比9.1%ダウンの11万ドル、バイバックレートが23%(前年19%)と、すべての指標が下を向く結果となった。ブラッドストック・マーケットが世界的に縮小傾向なのに加え、新型肺炎SARSの影響で環太平洋地域への渡航を取り止めた購買者も少なくなかったことを考えると、まずまずの数字であると言わねばなるまいし、主催するイングリス社にとっては、地元のリーディングブリーダーと手を携えて行ってきた長年のマーケティング戦略が実った、成果の多い市場と言うことすら出来るかもしれない。

 最高価格馬は、オーストラリアで生産されたサンデーサイレンス産駒で、イングリスセール史上のレコードとなる170万ドルで、日本のオーナーブリーダー岡田繁幸氏が購買した。

 オーストラリアの生産界は、シャトルスタリオンの一般化で様相が一変したと言われている。欧米はもちろんのこと、日本で供用されている種牡馬まで、北半球の秋から冬にかけては南半球に渡り、現地の繁殖シーズンに合わせて種付けするのが当たり前になった。だがそれでも、どんな大金を積まれても南半球には出せないという種牡馬はいるもので、サンデーサイレンスはそんな「門外不出種牡馬」の筆頭であった。それならばと、オーストラリアの最大手アロウフィールド・スタッドが繁殖牝馬を日本へ送り、南半球の繁殖シーズンである日本の秋に種付けをし、オーストラリアへ帰ってから出産したのが、最高価格馬となった父サンデーサイレンスの牡馬である。父の名声、母の兄弟に91年世界2歳チャンピオン・アラジがいるという牝系、そして馬の出来の素晴らしさの3要素が相まっての最高値ではあったが、その前提として、北半球最高の種牡馬の種を何とかして南半球に導入したいという、リーディングブリーダーの情熱があったことを忘れてはならないであろう。

 一方、どんなに出来の良い馬が売りに出ていても、そして、その価格が日本や欧米に比べて安かろうとも、日本人購買者を誘致するのは難しいと言われていたのが、南半球のイヤリングセールだった。今回の市場に出た1歳馬たちが生まれたのは、2001年の秋である。そんな彼等が日本へやってくれば、「同級生」として2004年の3歳クラシックを戦わなければならないのは、彼等よりも半年早く、2001年の春に生まれた馬たちである。若駒の段階で背負う半年のタイムラグは、途方もなく大きいと言わねばなるまい。

 例えば、2001年春に北半球で生まれた馬と言えば、この時期北米の2歳セールでバンバン時計を出し、中には既にデビューを果たしている馬もいるのだ。そんな馬たちと、まだ背慣らしも出来ていない馬が一緒に戦うのでは、勝負は目に見えている。古馬になればその差も解消されるし、また、牝馬の場合は将来の繁殖候補として購買することも出来るが、それでも、北半球の馬主が南半球のイヤリングセールで購買するのはデメリットが多過ぎると言われていたのであった。

 だが主催するイングリス社は、諦めなかった。オーストラリアには高額賞金の2歳戦があることから、オーストラリアで走らせることを念頭においた日本人購買者を誘致すべく、毎年のように営業チームを日本へ派遣し、バイヤー獲得に努めてきた。そしてそれが、思わぬ形で実ったのである。と言うのも、購買者の岡田氏は最高価格馬について、「3歳春のクラシックは念頭に置いていない」としながらも、日本で走らせる意向を示しているのである。

 この馬がどんな過程でデビューし、どんな競走馬に育っていくのか、興味深くフォローしていきたいと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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