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週刊サラブレッドレーシングポスト

  • 2003年05月05日(月) 15時53分
 いよいよ北米や英国にも3歳クラシックの季節が到来。先週末には、英国で2000ギニー、1000ギニー、北米でケンタッキーダービーが行われたが、中でも最も好メンバーが集まり、週末最高の大一番と言われていたのが、4日(日曜日)にニューマーケットで行われた1000ギニーだった。

 とにかく、有力馬のプロフィールを上げるだけでも背筋がゾクゾクするような、凄いメンバーが集まっていたのである。

 まず地元英国に、2歳時G1フィリーズマイルを含めて3戦無敗の牝馬ソヴィエトソングがいた。シーズンオフの間、多くのブックメーカーが前売り1番人気に推していた彼女は、プレップレースを使わずにぶっつけで本番の舞台を迎えていた。

 ここにドーヴァー海峡を超えて挑んできたのが、フランスの誇る強力な2トップだった。最終的に1番人気に推されたシックスパーフェクションズは、G1マルセルブーサック賞を制して昨年のフランス2歳牝馬女王に輝いた馬だ。一方のインターコンチネンタルは、牡馬の2歳王者決定戦G1グランクリテリウムでホールドザットタイガーから僅かの差の3着となった男勝りの女傑である。シックスパーフェクションズはミエスクの近親にあたるニアルコス・ファミリーの自家生産馬で、インターコンチネンタルはバンクスヒルの全妹にあたるカリッド・アブドゥーラ殿下の自家生産馬と、ともに超良血のお嬢様で。両馬とも地元で行われた前哨戦を楽勝しての遠征だった。

 ここに、3月にドバイで行われたUAE・1000ギニーを含めて2戦2勝というゴドルフィン秘密兵器メッツォソプラノ、地元英国の最重要プレップレースG3ネルグウィンSを制したストームキャット産駒のクルードらが加わったのである。

 結果はどうなったか。大きな期待の中で行われた1000ギニーを制したのは、ラシアンリズム(父キングマンボ)だった。ラシアンリズムと言えば、2歳時ヨークのG2ロウザーSを含めて4戦3勝。ブックメーカーによってはアンティポストでソヴィエトソングと並ぶ1番人気に掲げていたこともあった馬である。

 その彼女の単勝が、レース当日は13倍もついたのだった。というのも、管理するマイケル・スタウト調教師が、調整不足を理由に出否を最後ま躊躇っていたからだった。最終登録が締め切られたレース2日前の段階でようやく出走を決意したものの、「正直に言うと、あと1週間欲しい」との師のコメントが新聞各紙に踊り、強敵揃いのここで勝ち目は薄いと、多くのファンは判断したのである。ところが、名伯楽マイケル・スタウトも驚く底力を、ラシアンリズムは持っていたようだ。

 ラシアンリズムは、2001年のタタソールズ・ホウトンセールで44万ギニー、日本円にしておよそ9200万円という高値で購買されていた馬である。というのも、母の姉妹に、ディザイアブル、パークアピール、アリダレスと、牝馬のG1勝馬が3頭。このうち、ディザイアブルは母として1000ギニー馬シャダイードを産み、パークアピールは母としてG1ロッキンジS勝馬ケイプクロスを産んでいるという、大変な名門牝系の出身なのだ。ラシアンリズム自身、繁殖として計り知れない価値があると言えるだろう。ちなみに、現在日本で現役のゼンノケイマは、ラシアンリズムの4つ上の兄である。

 1000ギニーは、2着シックスパーフェクションズ、3着インターコンチネンタル、4着ソヴィエトソングと、実力馬が順当に上位にくる結果となった。レベルの高い今季の欧州3歳牝馬戦線は、これからもファンをおおいに楽しませてくれそうである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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