酒井学騎手をゲストに迎えた『ご指名対談』第2回。騎乗馬がなく、土日もトレセンで調教、競馬ブックを片手に自分で騎乗馬を管理する日々…。経済的にも困窮したという“遠回りの日々”を、後輩・高倉騎手が聞き出します。
■いろいろあったけど…、遠回りして良かったと思う
高倉 年間1勝の年もあったとのお話でしたが、ここまで這い上がってくる過程で、なにかきっかけがあったんですか?
GIジョッキー酒井騎手にも困難な時代が
酒井 ジョッキーとしてこれじゃダメだろって、自分で気づいたことがきっかけかな。4年目から徐々に乗り鞍が減っていったんだけど、それからしばらくは、『なんやねん!』みたいな気持ちで、ふてくされててさ。土日も競馬場に行く必要がないから、トレセンで調教に出てたんだけど、『お前、こんなところで何やってんの?』とか言われたりして。
高倉 それはキツイですね…。
酒井 向こうは冗談のつもりで言ってたんだろうけど、俺からしてみればけっこうショックでね。『今日は競馬の気分じゃないんで(笑)』なんて、冗談で返したりしてたんだけど、実際はすごく心が痛かった。さすがに自分でも“俺、なにやってんねやろ。ジョッキーなのに、なんで土日に調教してんねやろ”って思って。
高倉 そういえば、当時エージェントさんはいなかったんですか?
酒井 いないよ。それこそ、俺がお願いするようになったのはここ3、4年だし、そもそも僕らの時代は、エージェントという存在自体が今ほど浸透していなかったからね。当時、エージェントが付いていたのは、ユタカさんくらいだったんじゃないかなぁ。だから、騎乗馬の管理は、ずっと自分でやってた。
高倉 そうだったんですか。僕らは最初からエージェントさんにお願いするのが当たり前だったから、自分で管理するなんて想像できません。
酒井 調教師さんや厩舎のスタッフから「○レース空いてるか?」って直接電話がかかってくるんだよ。だから、いつも競馬ブックの番組欄を切って持っていて、ペンで自分でチェックをしてね。
高倉 大変だったんですねぇ。
酒井 いやいや、俺たちの時代はそれが普通だったから。
──酒井さんというと、乗れなかった時代も、周りの人に可愛がられていた印象があるのですが。
酒井 そうですね。そういう方たちがいたから、また戻ってこられたんだと思います。ただ、当時はそういう方たちに甘えていたんだと思う。可愛がってくれていたのに、自ら離れていくようなことをしてしまったから…。
高倉 学さんにも、ダメなところがあったと。
酒井 もちろんだよ。絶対に周りのせいじゃない。でも、俺はバカだから、当時は気づけなかった。もっと早く気づいていればよかったんだけどね。なんかこう…、調子に乗っていたんだろうね。
高倉 やっぱり後悔がありますか?
酒井 うん。ホントにバカだったなと思う。ただ、そんな俺だから、逆に遠回りしてよかったと今は思うよ。遠回りしたからこそ、わかったことっていっぱいあるから。あのまま順調にいってたら、いったいどんなヤツになっていたことか…。考えるだけでちょっと怖いもん。だから、自分を棚に上げてなんだけど、デビューから順調にきている後輩を見ると、「コイツ、もうちょっとこうしたほうがいいのになぁ」とか、よく思うよ。
高倉 えっ、僕は大丈夫ですよね…!?
酒井 稜はまだまだ、これからの話だよ。そういう子を見ていると、あまりにも順調に行きすぎるのはどうなのかなぁって思ったり。でも、自分でいろいろと気づきながらやっていくほうがいいだろうから、あえて声をかけたりはしないけどね。
先輩の苦労話にビックリ
高倉 学さんの言葉は深いですね。とくに、遠回りして良かったっていう言葉、すごく重たいなぁって思います。
酒井 でもな稜、今こうして戻ってこられたから言えるんであってさ。這い上がれずに、引退してしまうジョッキーもいるわけで。とくに最近はいろいろと厳しくなって、俺より若い子がたくさん辞めていってしまう時代からね。切ないよね…。そういうなかにも、本当に頑張っていた子もいるのに。
──ところで酒井さんは、経済的に困窮されたこともあったそうですね。
酒井 はい、ありました。CDを中古屋さんに売ったりしたことも…。
高倉 えっ、ホントですか!?
酒井 ホントだよ。2005年、2006年くらいだったかなぁ。世間一般のイメージとして、ジョッキーは経済的に余裕があると思われがちだけど、ホントにピンキリだからね。まぁ、今の稜にはわからないか。順位がホントに下のほうのジョッキーは、遊ぶお金なんてないと思うよ。俺の場合、一人で外に住んでたのもあるけど。
高倉 寮に住んでなかったんですか?
酒井 10年目くらいだったかな、下の子がどんどん入ってきて、出ていかざるを得ない状況になってね。
高倉 そうだったんですね。厩舎には所属されていなかったんですか?
酒井 二分先生が引退されてから、数か月はフリーでやってたんだけど、すぐに西園先生が「うちに所属するか?」って声をかけてくださってね。西園先生は、僕がアンちゃんのころから、ジョッキーとして二分厩舎に所属されていた方で、調教師試験に受かってからも、二分厩舎で技術調教師をしていてね。その流れで、今でもお付き合いさせてもらってるんだよ。
高倉 長いお付き合いなんですね。
酒井 思えば、“このままじゃいけない!”って気づくことができたのは、西園先生のおかげかもしれないな。
【次回のキシュトーーク! は?】
酒井騎手×高倉騎手の『ご指名対談』第3回。所属の二分厩舎解散後、フリーとなった酒井騎手を、自らの厩舎に招き入れた西園調教師。次回は、長い付き合いである西園師との心温まるエピソードが明かされます。