日本ダービーは、馬の能力や勝負強さだけでは勝てない。手がける陣営すべての人びとの積年の執念が求められる。でも、積み重ねた執念の努力に馬の能力が重なり、それで勝てるというものでもない。執念を燃やしつづけるライバルはあふれている。幸運も味方に引き入れなくてはならない。ダービー馬は、たった1頭である。
ほぼ予測された通りのペースで、良馬場の勝ち時計は「2分24秒3」。全体のレースバランスは「1分12秒2-1分12秒1」。候補と目された有力馬なら、どの馬にもチャンスの生じた流れ(ペース)であり、どの馬とて乗り切れた時計である。
最後の最後に抜け出したのは、キズナ(武豊騎手。父ディープインパクト)だった。ノースヒルズの前田幸治代表が牧場経営に乗り出して約30年。これがノースヒルズグループ初の日本ダービー制覇。同じく初優勝の佐々木晶三調教師は、ディープインパクトの勝った2005年、インティライミ(佐藤哲三騎手)の2着があった。キズナを育てたのは落馬事故で現在リハビリ中の、その佐藤哲三騎手。代わって主戦を務めることになった武豊騎手にとっては、さまざまな意味で逆襲のチャンスだった。
関わった多くの人びとの重ねた努力に、最後のひと押しで加わった幸運は、コースロスなしの絶好の1番枠を引き当てたこと。さらには、タテ長には映っても、全体には息の入れやすい追走の楽な平均ペースは、直線の爆発力で勝負したいキズナに理想の流れだったことである。上がり33秒5はNo.1だった。
弥生賞で、結果的にややコース選択を誤り小差5着にとどまったキズナは、3月23日の毎日杯を快勝して賞金を加えたが、皐月賞をパス。オーナーと佐々木調教師のダービー制覇にかける結束は正解だった。東京の直線勝負の戦い方を京都新聞杯で完成させた。
前人未到の日本ダービー5勝目を記録した武豊騎手(44)は、向こう正面まで流したあと、なかなかスタンド前に戻ってこなかった。ようやく帰ってきた武豊騎手の喜びの仕草は、あのころほど大きくなかった気がする。笑顔も控えめだった。
ディープインパクトの産駒で、あのとき以来のダービーを勝つことができた。確実に月日は過ぎている。取り巻く条件も大きく変化した。でも、またダービーを勝つことができた。大歓声に沸くスタンドを、向こう正面から1人で見つめた武豊騎手には、若かったころとは別の至福があったろう。だれも入り込むことのできない、武豊の時間だった。L.ピゴットは「ダービー」を9回も勝っている。武豊ならまだまだ勝てる。
福永祐一騎手のエピファネイア(父シンボリクリスエス)は、中団のインでタメを利かせ、この流れだから道中は行きたがったものの、抜け出すタイミングは完ぺきに近かった。母シーザリオのオークスよりはるかに巧みに東京2400mを乗り切り、ふつうなら完全に勝った競馬だった。あえてソエ気味を公言しつつ、入念に厳しく追った陣営の仕上げも見事だった。研ぎ澄まされた体つきは、ここ一番のスペシャルウィーク(母の父)の仕上げである。でも、負けてしまった。ダービーは、1頭の勝ち馬以外に非情をつきつけることなど少しもためらわない。
馬場入場の瞬間から、想像を超えたファンの大歓声がうずまき、ほとんどの馬が馬場入りしてスタンド前を歩くことなど不可能だった。みんな目が吊りあがり、引き手を振りほどいてスタンド前から逃げた。覚悟の上とはいえ、日本ダービーはふつうの精神構造の馬や、やさしい性格の馬は好走できない。そんな中、アポロソニック(父ビッグブラウン)は異常な熱気に耐えて歩いた数少ない1頭だった。レースを先導し「前半1000m通過60秒3→1200m1分12秒2→」は、完ぺきな平均ペース。途中から、行きたがりすぎて鞍上があきらめたメイケイペガスターに先頭を譲る場面はあったものの、この馬の粘り腰はすごい。最後は1度かわされたペプチドアマゾンを差し返して3着にとどまった。
先行して粘った伏兵アポロソニック、ペプチドアマゾンを考えると、人気の1頭ロゴタイプ(父ローエングリン)は、この馬なら大丈夫かとも思えたが、残念ながら、冒頭に示したダービー馬の条件を満たしていなかったかもしれない。
手がける田中剛調教師以下、陣営には落ち度もスキもない。最初から異常な歓声に見舞われたのはどの馬も同じ。皐月賞以上にカッカしたが許容範囲だった。だが、行きたがってかかったのがこの馬には致命的。シングスピール系は種牡馬ムーンバラッドも、ローエングリンもそうだが、もともと行きたがる気性が本質。しかし、そこで折り合いを欠いたらアウト。だからローエングリンも大スランプ時があり、欧州まで遠征しながら大成することはなかった。ただし、マイラーではない。
皐月賞(前半1000m通過58秒0)の流れや、朝日杯FS(1000m通過57秒3)ならかかる理由がない。だが、常軌を逸していると驚かれるダービーの喧騒の中、1000m通過60秒台ではロゴタイプに行きたがるな、というほうが無理な注文。ずっと行きたがっていた。敗因を距離適性に求めるむきもあるが、それはM.デムーロ騎手に笑われる。「2400m? ノープロブレム。ロゴタイプはそんな馬じゃない」と。
直前のエキストラエンドのレースが示すようにC.デムーロは才能にあふれている。でも、折り合いに神経を集中させた日本ダービーではあまりに若すぎた。仕方がない。初めてである。あのペースなら、M.デムーロなら楽々と2番手追走だっただろう。ロゴタイプ陣営にはみんなの積年の執念がなかった。田中剛調教師も、それは分かっていた。
コディーノ(父キングカメハメハ)は、もう光っていなかった。絶大な信頼と、人びとの尊敬を受ける藤沢調教師は、衆目一致のクラシック候補に1600mの朝日杯FS出走、もっとも大切な時期になっての騎手変更、これまで決して取り入れなかった事前入厩…など、どことなく不思議な方向転換だった。幸運はその居場所をみつけにくい。
「ベストを尽くすしかない」といったC.ウイリアムズ騎手もかわいそうだった。コディーノは最初から激しくかかりすぎて処しようがない。彼は、強欲な勝利請負人ではない。研究熱心で、やさしい心根の愛すべき男である。だから、つらかった。
青葉賞のヒラボクディープは、それは激しい気性の持ち主。なんとか納得させて走ることに集中させる日ならいいが、狂騒のダービーデーでは無理だった。