スマートフォン版へ

スタートの名手

  • 2013年07月20日(土) 12時00分
  • 23
 先週の函館記念を逃げ切った武豊騎手のトウケイヘイローは、ゲートを出て数完歩で勝負を決めてしまった感がある。

 競馬においては、コースや距離や馬場状態や馬の脚質がどうあれ、スタートがきわめて重要になってくる。

 なぜ重要なのか。
 トウケイヘイローのように掛かる心配のある馬の場合、気分よく折り合って走れるかどうかは最初の数完歩で決まってしまうことが多い。脚質が正反対だったディープインパクトもそうだった。走りのリズムは序盤に決まってしまうのでスタートが肝心、というのがひとつ。

 もうひとつは、レース全体において、スタート直後が最もスピードが遅く、大きな差をつけやすい局面だから、である。

 レースにおける馬の最高速は、時速60キロから70キロほどと言われている。

 みなが時速60キロで走っているときに、自分だけ65キロで走るのは大変だ。が、みなが時速20キロほどしか出していないときに時速30キロで走れば、そこでグーッと差をつけて優位に立つことができる。

 最高速に近いところで5キロ速く走るより、速度の遅いところで10キロ速く走るほうが当然負担が少ない。

 実際は、ゲートを出てからみなどんどん加速していくので、スピードの遅い時間はそう長くない。だから、速度の低い局面でアドバンテージを得られるチャンスはそう多くないことは確かだが、JRAの場合、昭和35(1960)年までは、状況がまるで違っていた。

 その年にウッド式発馬機、つまりスターティングゲートが導入されるまでは、馬の前に張ったロープをはね上げてスタートの合図とする「バリヤー」が用いられていたからだ(大井競馬場ではその7年前からゲートが使われていたのだが、中央は、ゲートを出し入れすると芝を傷めてしまうという理由で導入が遅れたようだ)。

 バリヤーでは、出走馬が人間の徒競走のように横並びになり、全馬が顔と体を正面に向けたと発走委員が判断したら、前に張られていたバリヤー(ロープ)がスルスルッと斜め前方に上がり、スタートとなる。

 規程には「競走の公正を期するため必ず駐立より発走せしめます。従って競走に際し故意に出足をつけることは出来ません。なお、みだりに馬を回転、横向き、後向きその他不正の行為をもって発走に利益を得んとし、また発走を遅延せしむるような事をしてはなりません」と記されている。しかし、騎手時代バリヤーでのスタートを得意としていた高橋英夫氏によると、やはりコツがあり、バリヤーが上がった瞬間には動き出している「フライング気味」のスタートを切れるかどうかが勝敗を分けたという。ただ、本当にフライングしてしまうと、はね上がるロープに馬の顎が引っ掛かって首を吊る格好になったり、騎手が体ごとはね上げられたりしてしまうので、そのへんの加減が難しかったようだ。

「駐立より発走」させようとしても、全馬が完全に静止した状態からスタートすることなど不可能だ。馬たちが脚を揃えなおしたり、体をねじったり、横を向きかけたりしているときにバリヤーが上がるので、高橋氏のような名手がつけいる「隙」ができたのだろう。

 当然、馬がジッとせず発走時刻が遅れることもしばしばで、昭和34年の桜花賞では35分も遅れてスタートしたという。

 バリヤーでのスタートでは、速いスタートを切った馬がスピードに乗りかけているのに、まだ走り出せない馬がいたりと、「最高速が低いのに速度差が大きい」という時間が今の競馬より長かった。ために、スタートからの数秒で大きな差をつけて、圧倒的優位に立ってしまうことが可能だったのだ。

 あの時代の映像を見るたびに、

 ――ここに武豊がいたら、どんなスタートを見せてくれるのかな。

 と思ってしまう。

 武騎手のスタートの速さは、20代前半の時点で、スピード競馬の本場アメリカのゲートボーイ(ゲート内で馬の口を持つ係員)をビックリさせたほどだ。

 バリヤーからも、あのロケットスタートでブッ飛ばすことができるのだろうか。

 話は50年以上飛ぶが、今週の彼の騎乗馬を見ると、ここ1、2年騎乗数が減っていたサンデーレーシングや社台レースホースの数頭に乗るようだ。どうして社台系の馬の騎乗数が減ったのか、私は理由を知らないのであれこれ言う材料がないのだが、リーディングに返り咲くには、やはりもう少し社台系の騎乗馬を得ることが必要だろう。

 言い方を変えると、4、5年前と同じくらい、いや、その半分ぐらいでも社台系の馬に乗れば、すぐまたリーディングを指定席にしてしまうはずだ。

 さて、来週の今ごろ、私は、相馬野馬追取材のため福島県相馬市と南相馬市をウロウロ(ブラブラかな)している予定だ。

 本稿で何度か紹介した、騎馬武者の蒔田保夫さんも、今年は甲冑行列に参加する予定だという。長男の匠馬君を津波で亡くした11年と去年は参加しなかったので、3年ぶりの出陣ということになる。私は、次男の健二君のクルマに便乗させてもらって、蒔田さんを追いかけることになりそうだ(健二君、申し訳ない)。
 さあ、この原稿を編集部に送ったら、参議院議員選挙の期日前投票をしてこよう。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング