17日、日曜日の新潟競馬は、合計24本もの万馬券がとび出しました。そういう現場にいて、このうずに巻き込まれた者にとり、次週の立て直しが可能かどうか、心の迷いを覚えます。全て忘れるのが一番か、次は常識どおりという順番なのだと、まずは気分を楽にすることからでしょう。
それにしても、レース検討というのは一体何なのか。立派な理論だからと言って、それが成果につながらない現実を多く見せられては、正解は別なところにあるのではないかと思えてきます。
立派なレース検討をあざ笑うが如き波乱の結末。多数決で決まるわけでもないので、それが競馬なのだと、少数派にまわる方に妙味を覚えることは、多々あります。むしろ、こちらに回る方が多いでしょう。
それでもつかみきれないのですから、あきらめるしかないのかもしれません。
競馬場に居て、この穴馬券ラッシュに会うと、その真相に迫る気迫は失せ、次なる穴馬捜しに血眼なのです。ですから、いつまでたっても、波乱の原因を追求することなく、そのまま全てを終らせています。
ところが、どんな穴馬がとび込んで来たとしても、それなりの根拠がちゃんとある筈で、こちらがそれに気づいていないだけなのではないかと、めずらしくそんな風に考えてみました。きっとあるのです、その根拠になるものが。今まで気づかなかったのですから、こらからは気づく努力をしていかなければならないでしょう。
その為には、穴馬券が出たレースほど、その勝因がどこにあったか、自分なりの見解をひとつのけじめとして、しっかり立てておくべきでしょう。ひとつひとつの積み重ねをしていくうちに、何通りかの、穴馬出現のパターンが見えてくるかもしれません。いや、そうに違いないと言えるぐらいの、具体的なものをつかんでおくべきなのでしょう。反省。