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Dr.コパさん(1)『1億円の馬を競り落としたような満足感』

  • 2013年10月07日(月) 12時00分
10月のゲストにお迎えするのは“Dr.コパ”こと小林祥晃さん。今や地方競馬の顔となったラブミーチャンを筆頭に、中央・地方の馬主として活躍されています。今回は“シンデレラガール”ラブミーチャンと共に歩んできた栄光と挫折の秘話や、地方競馬、競馬界に対する深い思いを語っていただきました。(聞き手:赤見千尋さん)

赤見 :コパさんといえば、何と言ってもラブミーチャン。可愛い名前でありながら、交流競走では中央勢をたくましく撃破。笠松競馬のファン、地方競馬のファン、みんなの夢ですよね。

Dr.コパ :僕もそれは感じるからね。地方競馬にああいう馬がいてくれることは、競馬を栄えさせるものだと思っているのよ。だから、ラブミーチャンが強いうちに、全国の皆さんに見てもらいたいなって。

おじゃ馬します!

“Dr.コパ”こと小林祥晃さん


赤見 :そういう思いもあって、全国のレースに参戦しているんですね。

Dr.コパ :いろいろな競馬場でパドックにたくさんの人が集まっているのを見ると、「良かったな」と思うよね。

赤見 :スターホースがいるということが、その競馬場にとってどれだけ大きなことかを感じます。今や地方を代表するラブミーチャンですが、最初に会った時はどんな感じだったんですか?

Dr.コパ :サマーセールで買ったんですけど、僕は長い距離を走る馬と高い馬が分からないんですよ。300万円を超えちゃうと、みんな良い馬になっちゃう。だから、いつも300万円ぐらいを上限に決めて馬を探しているのね。

もともとサウスヴィグラスが好きで、お父さんによく似てお尻も大きいし、顔も可愛いかった。たしか、200万円とか250万円から始まって、2、3人が競って来たんだけど、300万円で落とせたんだよね。「なぜこんな良い馬が上がらない?」って、心配になっちゃうよね。

赤見 :やはり相当良く見えたんですか?

Dr.コパ :うん。競り落とした後すぐに馬を見に行ったんだけど、そこでもう1回、向こうへ回ったりこっちへ回ったり、しげしげと馬を見たよね。いつもだったら馬のところまで行って写真を撮って終わりなのに、あの仔だけは周りをぐるぐる回って見て。それくらい自分では納得して、「すごい馬だなぁ」と思って見ていたんだろうね。「1億円の馬を競り落としたような顔をしていた」って言われたよ(笑)。

赤見 :あはは(笑)。その時から「相当頑張ってくれるんじゃないかな」という思いが?

Dr.コパ :普通ならそれくらいの(金額の)馬ってあまり中央には入れないんだけれど、須貝尚介君にすぐにお願いしてね。そういう意味合いからも、相当期待していたんだと思う。

赤見 :ちょっと中央では、時間的なこともあったりして、未出走のまま地方に移籍するということに。

Dr.コパ :うん…。何だったんだろうね。疲れというのもあったのかもしれないし、サウスヴィグラスの仔は腰が甘くなる馬が出ることがあるから、坂路が合わなかったんだろうね。徐々にスピードが上がっていくタイプの馬なので、そういうスピード馬はスタートからどうしても急いでしまうじゃないですか。それがサウスヴィグラスの仔のような、ちょっと奥行きのある馬にとっては辛かったのかもしれないなと思うよね。

赤見 :成長するまでにちょっと時間がかかったんでしょうか。

おじゃ馬します!

「ミーチャンは成長に時間がかかったのでしょうか?」


Dr.コパ :でもね、育成場の坂路はスイスイ上がっていたんですよ。2歳のゴールデンウィークに見に行った時もスイスイ上がっていて、牧場の方と「いいね、すごいね」って話していたのが、わずか1か月半か2か月、向こうへ行ったらまるで坂路を上がれないと言うじゃない。どうしたんだろうな、ってね。

赤見 :コパさんとしては、中央から地方に行く時というのは?

Dr.コパ :やったことはすごく簡単でね、まず方位を決めたの。栗東にいるわけですから、一番近い園田、名古屋、笠松という順番で普通は決めていきますよね。方位を見た時に、これは笠松がいいなというのと、たしか7月15日だったと思ったけれど、日を見て「尚ちゃん、悪いけどさ、この日まで置いといて移してくれない?」と頼んだんだよね。

赤見 :日取りも良いタイミングを考えられて。

Dr.コパ :尚介君も「先生、もうちょっと置かしてください。こんなにタイムの出ない馬じゃないと思うんです」と何回も言ってくれたんだけれど、「いや、尚ちゃん、ここにいても迷惑をかけるよ。馬名を変えて地方に持っていくからさ」と。尚介君も「分かりました」ということでやってくれた。尚介君と今でもすごく良い付き合いができているというのは、多分その辺をお互いが分かっているということだと思うんだよね。

赤見 :今でも須貝調教師と良いお付き合いをされているんですね。

Dr.コパ :ただね、移籍してわずか半年弱、2歳で地方競馬の年度代表馬になっちゃったでしょう。すぐに答えが出ちゃったからね。それで尚介君は、いろいろな人に言われたらしい。「お前は、馬も分からないのか」って。それがまた一つの反発心になってね、彼の調教師としての成長につながったのかなって。

赤見 :今はゴールドシップなど、良い馬をたくさん育てていらっしゃいますもんね。

Dr.コパ :今でも勝つ度に「コパ先生、おめでとうございます」ってメールをくれるしね。彼にとってみても、自分の心の中ではすごくショックなことだっただろうけど、ホースマンとしては良い経験の一つになってくれたんじゃないかって思う。その後の活躍ぶりを見たら、決してそれが大きなマイナスになったとは思えないよね。

赤見 :コパさんご自身にとって、笠松競馬場というのは?

Dr.コパ :若い頃から競馬が大好きだったからね。笠松にも何度も行っていたので、厩舎のあの雰囲気も分かっているしね。あそこは水が良くて。どういうわけだか馬が育つんだよね。

赤見 :主戦は笠松の人気者、“浜ちゃん”こと浜口騎手となりました。

Dr.コパ :後になって、調教師の柳江さんと浜ちゃんに「最初に馬を見た時どうだった?」と聞いたのよ。そしたら「すっげぇ馬が来たなと思った」と。初めて乗った時には、浜ちゃん「すげぇや、これ!」と言ったらしいよ。

赤見 :浜口騎手はしばらく男馬だと思っていたそうですもんね。名前を聞いて「なんでそんな女の子みたいな名前なんだ??」って。相当なパワーを感じられたんでしょうね。

Dr.コパ :そうだったみたいだね。調教が始まったらさらに評判になってしまって、レースが成立しないんだよ。

赤見 :あっ、勝ち目がないと思って、みんながミーチャンの出るレースを避けてしまうから!? それもすごい逸話ですね。

Dr.コパ :そうそう。それでなかなか新馬戦に使えなくて、10月7日にようやくデビュー。800mだったんだけど、この時、出遅れているんですよ。ゲートに入らないのと、ゲートが遅いのね。ただ、遅いんだけれども、二の足がとにかく速いので、50mか100m行くうちにはもう先頭に立ってしまうの。あとは、持ったままでちぎって。

赤見 :持ったままで圧勝。笠松で新しい競走馬生活をスタートさせて、一気に輝きましたね。

Dr.コパ :移籍の時に名前を変えたんだけど、これは2通りの意味があってね。単純に、もっと自分のことを好きになって欲しいと思ったの。馬って敏感だから、周りが「ダメだな」と言うと分かるんだね。そういう思いで栗東から出てきているわけじゃない。だって、中央のあんな良い施設から移動して来て、馬だって分かるでしょう? 「わたし、どうなっちゃったのよ」って。

赤見 :特に女の子は繊細ですものね。

Dr.コパ :そうなんだよね。だから、名前を変えることによって運気を変えてあげようと。この際だから、母音が「ア」で始まって「ン」で終わる馬名にしようと。あの仔が自分を好きなんだよという「ラブミー」と、そういう馬名をまず考えて。そこから何を持ってくるのかなといったら、「チャン」だったんだよね。中央の時は、お母さんの名前から取って『コパノハニー』という名前だったんだけど、ここで『ラブミーチャン』と。

おじゃ馬します!

『コパノハニー』改め『ラブミーチャン』


赤見 :馬に「自分を好きになって」という思いが込められていたんですね。

Dr.コパ :だってね、相当しょげてると思ったもの。あの仔ね、すごくプライドが高い仔だったの。育成場にいる時から、男馬に対して「何やってんのよ!」というような仔で、先頭を歩かなきゃ嫌な仔だった。普通、牡馬の前に牝馬を歩かせることはしないんだけど、あの仔は前に行ってしまうし、他の男馬もおとなしく付いていくという、そういう馬だったんだよ。

赤見 :そんなミーチャンにとっては、中央から出たのはある意味挫折というか。

Dr.コパ :うん。大変だったんだろうね。ともかくプライドの高い仔だから、プライドを高くしていてあげようと思った。そうしたら初戦があれだからね。「強いなぁ」と思ったよね。

それで、その月末に地元のジュニアクラウンという重賞に出たのね。みんなに内緒で、調教師にも内緒で東京から笠松まで見に行ったのよ(笑)。彼女の変化を見てあげたくて行ったの。そうしたらここも楽に勝ってね。それで、僕の頭の中に浮かんだの。「よし! 2歳の日本一にしてしまおう」と。 (Part2へ続く)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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