とは言え、天才馬の幕引きの美学に照らせば、このレースはファンへの顔見世的な引退レースと言うこと以外の意味はないし、その点では、やはり、彼には、あらずもがなのレースなのである。それどころか、昨年の凱旋門賞2着以降、JCは除くとしても、今年の凱旋門賞まで国内のいかなるレースに出走する意味も大義も彼にはなかった。彼の使命は日本の競走馬の総大将として世界制覇にだけあったから。国内はほかの有力馬に任せて、彼にはこの国の競馬界のために世界で戦うことだけが使命だった。少なくともぼくはそう思っていた。だから個人的には、今年はワールドクラスのジョーッキーと共にドバイWCと凱旋門賞の2レースに絞ってもらいたかった。一方は実現しなかったが、陣営は凱旋門賞に賭け、彼とクリストフ・スミヨンにすべてを託した。結果は残念だったが、二年連続2着と言う成績は、日本の競走馬として世界に充分インパクトを与えた。レース前はおそらく斤量差を超えてなお彼は勝ち切れるものと陣営は踏んでいたと思うし、誰もがそう思っていた。そしてそれはアンテロやキズナに対してはその通りになった。ただ一頭トレヴを除いて…。
ぼくは調教につてはまったく詳しくないが、この凱旋門賞の後、近い将来日本から古馬がこのレースに挑戦する場合、調教の際、斤量的にかなり負荷をかけてそれなりのタイムを出し、本番の60キロ近い重量が軽く感じられる工夫をしてみたらどうか、などと考えたりしたものだ。陸上のアスリートたちがタイヤを身体に結び付けて負荷をかけてトレーニングするように。レース前、武豊もキズナの斤量の有利さを口にしていたし、レース後はスミヨンも逆にその不利を口にした。これほど強いオルフェーヴルを追っても、追っても前との差は縮まるどころか、反対にひらいていった。トレヴが強かったと言ってしまえばそれまでだが、そのくらい、スミヨンはずしりとくる斤量の重さを肌で感じて、もどかしかったのではないだろうか。
あなたも、投稿してみませんか?
コラムを投稿する