今週は『50の質問』ラスト10問と、インタビューの本編に入っていきます。「この場を借りて謝りたい人」に、母親を挙げた菱田騎手。その意外な理由とは。また、サッカー一筋だった菱田少年が、競馬にまさかの心変わり! 家族の反対を押し切ってのドタバタ劇を披露していただきます。(11/4公開Part1の続き、聞き手:東奈緒美)
まずは、菱田裕二騎手を丸裸にする怒涛の『50の質問』、残りの10問からお届けします!
―Q41.今までで一番感動した事は?競馬学校に合格した瞬間。
―Q42.今までで一番大変だった事は?競馬学校生活。
―Q43.今までで一番恥ずかしかった事は?お酒の失敗は、結構ありますね。最近は自分の飲める量が分かってきたんですけど、20歳になりたての時は分かっていなくて。一度、馬主さんに対して失礼な態度を取ってしまったことがあって。「これはやってしまった」と思って、酔いがさめて冷静になってからものすごく落ち込みました。そうしたら、それからその馬主さんの馬に乗せていただけるようになったんです。びっくりしましたけど、本当に感謝しています。
―Q44.最近、大笑いした事は?吉本新喜劇を見に行って、それが面白かったです。笑い飯と月亭方正(山崎邦正)さんが出ていたんですけど、めっちゃ面白かったですね。
―Q45.最近、悩んでいる事は?どうしたらもっと競馬を上手に乗れるだろう、っていうことです。
―Q46.この場を借りて、謝りたい事はある?母親ですね。LINEを一切返さなくてごめんなさい。「元気?」とか「食べてる?」とか、2日に1回ぐらい来るんですけど、返したことがない。返そうとは思うんですけど、恥ずかしくて返せないんです。
―Q47.一つだけ願いが叶うとしたら何を願う?大学生生活をしてみたいです。コンパとかサークルとか楽しそうですよね。
―Q48.一生のうちでやり遂げたい事は?親に家を建てること。稼がないと。
―Q49.一番の宝物は?一番の宝物…難しいな。やっぱり家族ですね。あと、カッコ付きで中井裕二(笑)。
―Q50.あなたのエネルギーになっている物は?トップジョッキーの活躍かな。「そこに近づきたい」というのが一番のエネルギーです。近くから見ていても、やっぱりすごいんですよね。一緒のレースに乗っていますけど、大きい。とてつもなく大きいです。
―質問終了―
◆きっかけは横山典弘騎手東 :お疲れ様でした。妹さんがいて、お兄ちゃんなんですね。
菱田 :はい。でも、妹というかお姉ちゃんみたいな感じです。3つ下なんですけど、「ちゃんとしいや」みたいな感じで、向こうの方がしっかりしてます。
東 :やっぱり女の子の方がおませですね。お母さんへのお話はいいですね~。お母さんにこのコラムを読んでいただきたい。家を建ててくれるなんて、LINEは返さないでも、親孝行じゃないですか。
菱田 :そうですかね。なんか、恥ずかしくて返せないんです(照笑)。
東 :京都のご出身ということですが、騎手になったきっかけというのは?
菱田 :小学生の時に、家族と天皇賞・春の日に競馬場に行って、そのレースにとても感動しました。イングランディーレが勝った時です(2004年)。

横山典弘騎手が逃げ切りを決めた2004年天皇賞・春
東 :横山典弘騎手が逃げ切ったレースですよね。お家から競馬場も近いですもんね。
菱田 :そうなんですよ。でも、家族は競馬をしないんです。
東 :えっ!? またなんでその天皇賞の日に?
菱田 :僕が小さい時に初めて立った場所が、京都競馬場だったらしいんです。小さい時に、競馬場の緑の広場にたまに遊びに連れて行ってもらっていたらしくて、物心ついてからは行ったことがなかったから、「GIもあるし、行ってみようか」って。それで行ったんですけど、レースを見た瞬間に「ジョッキーになりたい」と思いました。
東 :かっこいいって思ったんですね。
菱田 :はい。でも、両親は競馬をしないし、そもそもギャンブルが嫌いなんです。
東 :そっか。それは、ジョッキーへの道は簡単ではなさそうですね。それでも、憧れてしまったという。その頃だと、2005年がディープインパクトの三冠達成で、競馬自体がすごく盛り上がっていた時ですね。
菱田 :ディープインパクトはすごいなと思っていました。その時に好きな騎手は(武)豊さんでしたしね。豊さんの騎乗も見ていました。めっちゃかっこよかったです。
東 :レースのあの興奮が好きっていう感じでした?
菱田 :馬とジョッキーが好きでした。1人で競馬場に行ってましたからね。パドックに行って、スタンドで競馬を見て。ダイワスカーレット対アドマイヤオーラのシンザン記念(2007年)、あれを1人で見てたのを覚えてます。雨の中で。ダイワスカーレットが負けて、アドマイヤオーラが勝ったんですよね。
東 :よく覚えていますね。完全にハマっちゃったんですね。
◆両親に打ち明けられなかった思い菱田 :もっと競馬場に行きたかったですけど、やっぱりそんなには行けなかったんですよね。土日はサッカーがあったから、サッカーに行ってるふりして競馬場に行っていたので。普通にサッカーの道具を持って出て行って、それをロッカーに入れて。
東 :すごい本気度が伝わってきます。でも、ご両親に言い出すのが…。
菱田 :そうなんですよ。なかなか打ち明けられなくて…。でも、サッカーはどんどん疎かになっていきますし。
東 :それまではサッカーのプロを目指していたわけですもんね。
菱田 :はい。自分にはサッカーしか無かったんですけど、その一瞬からもう、ジョッキーになることしか考えられなくなってしまいました。中学校でも隠して馬の本を読んでましたし、競馬学校のこととか、自分でいろいろ調べてました。
東 :どんなタイミングでご両親に打ち明けたんですか?
菱田 :中学3年になる少し前に「もう言わな間に合わへんな」と思って、それで相談したんです。でも、猛反対されました。「絶対に無理」って。
東 :そうですよね。ギャンブルが嫌いでジョッキーになるって言われたら、「人生ギャンブルやん」ってなるから。
菱田 :そう言われたんですけど、それからも自分でランニングとか体重調整とかをしていたら、「それやったら、乗馬をしてみ」って言ってもらえて。それで京都競馬場で乗馬を始めました。
東 :競馬学校を受けるのには、結構ギリギリのタイミングですよね。
菱田 :ギリギリでしたね。ちょっとしか乗ってないから、競馬場の少年団の人にもめっちゃ笑われました。「そんなんじゃ合格は無理や」って。
東 :トレセン関係の子は小さい頃から馬に乗っていて、それでも競馬学校に入れなかったりしますもんね。だから「今までで一番感動した事は?」の答えが、「競馬学校に合格した瞬間」っていうことだったんですね。競馬学校に入ってからはどうでした?
菱田 :競馬学校に入ってからは、ただひたすら厳しかったです。初めの基礎練習でアブミを上げて、バランスを取って乗る練習をするんですよ。それがもう、股が擦れて、本当に叫びたくなるほど痛いんですよね。それに加えて、あの縛られた生活もしんどかったです。先輩も怖いですし。多分、それまで家でわがまましていたから、余計だったと思います。
東 :辛くてもすぐ実家には帰れないですし。競馬学校で何が一番辛かったですか?
菱田 :う~ん、一番は、自分の技術が上がらないことですね。うまく乗れないのが一番辛かったです。それに対して、先生も本当に厳しかったですしね。今体罰問題とかが言われていますけど、競馬学校の厳しさを見て欲しいくらいです。本当に厳しかったです。でも、競馬は命がかかっているから、厳しく指導してもらったんだと思います。(Part3へ続く)
◆次回予告
両親を説得し、競馬学校の入学試験にギリギリ間に合った菱田騎手。念願の騎手デビューに向けて始まった競馬学校生活は、予想以上に厳しかったと言います。乗馬経験も短く、なかなか技術が上達しない自分に悔しさを募らせていた時、教官から呼び出しを受けます。そこで厳しい現実を突き付けられることに。
◆菱田裕二
1992年9月26日生まれ、京都府出身。同期は中井裕二、山崎亮誠ら。2012年3月、栗東・岡田稲男厩舎からデビュー。4月14日の阪神1Rで、3歳未勝利をトーブプリンセスで制し初勝利。同年は23勝を挙げ、中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞。2年目の2013年には、NHKマイルCでディアセルヴィスに騎乗し、GI初騎乗を果たす。8月には、ニュージーランドで行われたアジアヤングガンズチャレンジに参戦した。