サイレンススズカ
◆敵なしの傑出したスピード 散華。仏教の言葉らしいが、むしろ私たちには、若くして戦死することの美化表現としてなじみ深い。
競走馬にも散華がある。天性のあふれんばかりの資質を開花させ、さあこれから頂点をめざすというときに、レース中の事故で命を絶つ。戦死と同じある。たぐいまれなるスピードを披露したサイレンススズカも、そんな悲運の名馬の1頭だった。
デビューは1997年2月。牡馬クラシック第1弾の皐月賞に間に合うか微妙なデビューだったが、調教では抜きん出た1番時計。未出走馬とは思えぬスピードに、記者たちが「遅れてきた大物」と騒ぎ始めていた。
確かにデビュー戦は7馬身の圧勝。その能力が“最高級のベンツ”と確信した陣営は、2戦目に皐月賞トライアルの弥生賞を選んだ。ところが、発走前にゲートを出てしまい、大外枠へ。これに動揺したのか、いざゲートが開くと10馬身の大出遅れ。それでも追いついたが、最後は力尽きて8着に敗れた。
キャリアの浅さを露呈したサイレンススズカは、ゲートの再試験と20日間の出場停止を命じられる。皐月賞出走は絶望となったが、それでも3戦目は2着に1秒1差の大楽勝。やはり能力が違っていた。続くプリンシパルSも勝利して、クラシック第2弾の日本ダービーに出走する。
しかし騎手との折り合いを欠き、9着に敗退してしまう。スタミナの温存を意識して、行きたがるのを抑えたのが裏目に出てしまった。陣営はこの馬の傑出したスピードを生かすには、逃げに徹したほうがいいと判断。3歳の秋までは不完全燃焼の競馬が続いたが、4歳になるとこの逃げに磨きがかかり、破竹の快進撃が始まる。
名レースとして名高い98年毎日王冠
後続がついて行けず、みんなバテてしまうのだ。中山記念で初重賞勝ち。続く小倉大賞典、金鯱賞をレコードで連勝。7月の宝塚記念で5連勝を飾るとともに、初GI制覇を成し遂げた。秋は毎日王冠が始動。59キロの重い斤量を背負いながら強豪を退けて6連勝。もはや敵はどこにもいなくなった。
そして迎えたのが1998年10月、運命の天皇賞・秋である。単勝1.2倍の断然人気。名手の武豊を背にスタートから快調に飛ばし、3コーナーの手前で早くも2番手に10馬身、そこから3番手までが5馬身、後続はまだその後ろ。テレビカメラを最大に引かねばならないほどの大逃走劇だった。
だが、それこそがサイレンススズカの持ち味。スピードは増すばかりで、後続をさらに引き離そうとする。スタンドからやんやの喝采がわき起こり、そのままゴールまで突っ走るかに見えた。
と、突然、サイレンススズカがスピードダウンし、競走を中止をした。左前脚の手根骨を粉砕骨折したのである。やがて3本脚で立ち、骨折した脚をぶらぶらさせる痛々しい姿が、場内テレビに映し出された。スタンドは一転して悲鳴と化した。すぐさま獣医師が駆けつけたが、手術の施しようがない重傷で、そのまま安楽死の処置が取られた。
栄光のレースをほぼ手中に収めながら、音速の貴公子サイレンススズカは、かくして4歳の若さ、まだ志なかばで散華したのだった。それが天命であったかのように。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1998年11月1日
第118回 天皇賞・秋(GI) 東京/芝左 2000m/天候:晴/芝:良
1着 オフサイドトラップ 牡8 58 柴田善臣 1:59.3
2着 ステイゴールド 牡5 58 蛯名正義 1.1/4
3着 サンライズフラッグ 牡5 58 安田康彦 3
中止 サイレンススズカ 牡5 58 武豊
◆競走馬のプロフィール
サイレンススズカ(牡5)
父:サンデーサイレンス
母:ワキア
騎 手:武豊
調教師:橋田満(栗東)
馬 主:永井啓弍
生産牧場:稲原牧場
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