◆凱旋門賞乗り替わりを知ったとき オルフェーヴルと共に挑むと思っていた凱旋門賞が夢に消えたのは、函館開催最終日だったという。
「レースが終わって、函館から札幌に移動する時に、池江先生とオーナーから電話が入って。『ごめん。申し訳ないけど』って。聞いた時は、もう頭の中が真っ白でした。とりあえず札幌まで移動して、もう忘れようと思ってお酒を飲みました。いつもだったら絶対潰れてるくらいの量を飲んだんですけど、一切酔えなかったです。朝まで飲んでも、全然酔えなくて…。凱旋門賞へ行けるんじゃないかって思える馬との出会いなんて、一生に一度あるかないかですからね。本当にショックでした」
その後フランスへ渡ったオルフェーヴルは、クリストフ・スミヨン騎手を背にフォワ賞を快勝。凱旋門賞でも、人気を集めた。
「去年の凱旋門賞は3日間開催の時だったので、調整ルームで何人かと一緒に見てました。勝って欲しかったですよ、もちろん。自分が乗ってる馬が世界一になるのは嬉しいことですから。勝って欲しいっていう気持ちと、乗りたかったなっていう気持ちと、両方考えながら見てました。レースは本当に惜しかったですよね」
この時の口惜しさをバネに、池添は凱旋門賞での騎乗依頼をもらうためにどうすればいいのかを考え、今年の春行動に出た。
「一つの問題点がロンシャンで乗ったことないっていうことだったので、それをなくしに行こうと思って、フランスに行きました。まずは騎乗依頼をもらえなければ、どうしょうもないですから。でも