新年1月のゲストは、2013年大ブレイクの横山和生騎手をお迎えします。夏の函館で覚醒すると、一気に重賞初制覇。その後も人気薄で上位に食い込むなど、大舞台でも存在感を増してきています。身長170cm、スマートな笑顔がまぶしい20歳の素顔とは。さらには、三世代続く競馬一族“横山家”の秘密、父・横山典弘騎手の驚きの一面も明かされます。(聞き手:赤見千尋)
「横山和生騎手」ってどんな人!? インタビューに入る前に、
素顔がまるわかりの質問20コにお答えいただきます。
Q1.何人家族?家族は6人です。父親、母親、母方の祖母がいて、僕と、弟2人です。
Q2.あだ名は?普通に“かずお”だったり、“かず君”だったり。
Q3.小さい頃はどんな子供だった?すごくでしゃばりっていうか、生意気だったと思います。結構何にでもぐいぐい行くような性格で。小さい頃はそうでしたけど、今では全然。できれば静かにっていうのも変ですけど(笑)、競馬では目立ちたいですけど、普段は静かにっていう。
Q4.入っていた部活は?帰宅部です。家に早く帰りたかったので、部活をやろうとは思わなかったです。学校に遅くまで残るっていうのが何か嫌で。仲の良い友達といの一番に、走って自転車に乗って帰っていました。
―野球とかサッカーとかも?球技全般苦手で…。からっきしですね。乗馬はやっていたんですけど、土日だけだったので、平日は本当に何もしなかったですね。
―家に帰って何をしていたんですか?何も(笑)。あんまりテレビも見なかったですし。小学校中学校の時は、結構生き物が好きだったので、近くの川に魚を取りに行ったり、そんな感じでしたね。
Q5.自分の性格を一言で言うと?良い意味でも悪い意味でもテキトーなところですかね。
―慎重に見えます。やっぱりA型なので、って血液型のせいにしたくないですけど、物事は結構考える方なんですよ。「ああなんじゃないかな」「こうなんじゃないかな」って考えるんですけど、実際に始まったら、自分の直感を信じて、考えていたことはそこまであてにしないでいくようなところがあります。
Q6.他の人からどんな人だと言われる?たぶん、ちょっと気難しいと思います(苦笑)。なんて言うんですかね、あんまり寝起きとかも良くないので。競馬学校の時は、同期に結構迷惑をかけたんじゃないかなと。感情の浮き沈みも激しいので、テンションが高い時は嶋田とか杉原もびっくりするくらいなんですけど、テンションが低い時には「あれ? いるの?」みたいな感じだと思います。
Q7.休日はどんな事をして過ごす?あんまりこれといった趣味がないんですけど、散歩っていうか、外の景色を見ながら歩くのが好きで。街に行ってフラッと買い物をするのが好きですね。
Q8.最近ハマっている事は?なんだろうな? 言われて出てこないので、そんなにないんだと思うんですけど。やりたいことって言ったら、魚が好きなので、魚を飼いたいなっていうのはあります。
Q9.怖い物や怖い場所はある?怖い話全般は、興味があるけど苦手です。怖いもの見たさっていうか、興味はあるんですけど、実際に見たら怖くて寝られないっていう。
―見たことあります?ん、まぁ、それらしいものは結構…。でも、信じたら負けだと思っているので、気のせいにしておきます。
Q10.これは譲れない、というこだわりは?寝るのがすごく好きなので、寝る時間を邪魔されたら結構誰にでも怒りますね。
―今は何時頃寝るんですか?あんまり早く寝すぎるとリズムが狂って寝坊してしまうので、日付が変わるまでは起きていて、昼寝を3時間くらいしています。1回早く起きようと思っていつもより早く寝たことがあったんですけど、安心したのか、そのまま寝坊してしまって。もうやらないって、心に決めました。
Q11.今までで一番感動した事は?父がダービーを勝った時はうれしかったですね(2009年ロジユニヴァース)。あの時は競馬学校生でしたし、生で見ていたので。まぁ、泣きはしなかったんですけど、結構じ〜んときましたね。父もずっと「勝ちたい」って言っていたので、本当に勝てて、僕もその現場にいられて、すごくうれしいなと思いました。
―ノリさんのあんなに喜ばれている姿を見たのが。そうですね。仕事場では結構難しい顔をしていると思うんですけど、家では普通に感情の起伏もありますし、普通に父親なので。それでもやっぱりね、家族がうれしそうだったらうれしいですよね。
デビュー24年目、15回目のダービー挑戦で悲願達成
Q12.今までで一番大変だった事は?大変っていうか、辛いなって思ったことになっちゃうんですけど、デビューした当初、馬主さん、調教師、持ち乗りさんや厩務員さん、すごくたくさんの方に応援していただいて、いい馬にも乗せてもらったんですけど、自分の技術不足のせいで結果を残せなかったっていうのがすごく…、本当に心苦しいっていうか。
ファンの皆さんにも、パドックで声をかけてもらったりしたんですけど、明らかに自分の技術不足のせいで負けているっていうのを痛感していたので。早く自分をもっともっと磨いていかないとだめだなって思って。
僕を信じて乗せてくださった皆さん、馬券を買ってくださったファンの皆さんがいたわけで。本当に申し訳ありませんっていう感じでしたね。その場からいなくなりたいなって思うくらい、あの辺が辛いところでした。
Q13.今までで一番恥ずかしかった事は?デビュー当初の騎乗が、一番恥ずかしかったですね。本当に。たまに1年目を振り返ろうってレース映像を見ると、過去に戻って自分を殴りたいです。今の僕でも皆さん殴りたいと思うんですけど(苦笑)。しばきたいですね。「お前、何やっているんだ」って。
Q14.最近、大笑いした事は?いつも笑っていますね。先輩とか同期といても楽しいですし。休みの日は後輩の原田和真と一緒に遊んでいるんですけど、アイツが面白いやつで。結構笑わせてもらっています。
Q15.最近、悩んでいる事は?悩みはやっぱり、仕事が尽きないですよね。最近は前よりはまだ、競馬の流れも多少は見えてきたかなとは思ったんですけど、年末の2場開催でジョッキーも馬も違って、その流れで乗ってみたらもう全然。当たり前ですけど、自分はまだまだだなと思って。外国人も来ていますし、いい馬に乗っただけじゃない何かがあるって思っているので、何かを盗めればいいなと思っています。
―やっぱり2場開催だと違いますか?レースが引き締まった感じがしますね。「ここが空くんじゃないかな」って思ったところが空かないですし。馬の力を出すだけじゃなくて、ジョッキー同士の駆け引きもあると思うので。ローカルは若手騎手が多いから先行争いが激しくなっていきますし、その辺で新鮮であったりするんですけど。
やっぱり2場開催は、関東の人と関西の人が来るっていうので、ちょっとした比率によってもレースが変わってくると思うんですよね。乗る人達が変われば、流れも変わってくるので。100回やって100回上手くいくとは思わないですけど、100回やって10回でも上手くいければいいなと思います。
Q16.この場を借りて、謝りたい事はある?今でもそうなんですけど、デビュー当初の騎乗を謝りたいです。
Q17.一つだけ願いが叶うとしたら何を願う?一つだけですよね(笑)? 部屋を1室借りて、水槽だらけにして、水族館みたいにしたいですね。
―本当に魚が好きなんですね。何がそんなにいいんですか?赤見「魚のどんなところがいいんですか?」
景色を見ているのも、途切れることなく動いているものが好きなんですよね。飛行機とかで窓から街を見下ろすのも好きですし。魚を見ていると、動きがあるじゃないですか。ずっと見ていると、それぞれ決まった動きみたいのが出てくるので。そういうのを見ているのが結構楽しいです。
―テレビとか見ないでそういう方が好き?テレビはつけないですね。1回テレビが壊れちゃったんですけど、そこからさらにテレビ離れがひどくて。
Q18.一生のうちでやり遂げたい事は?まだまだ自分はたいした成績もあげていないのであれなんですけど、この仕事に就いたからには、やっぱりGIをね、勝ちたいなとは思います。最初は「父親もジョッキーだから」と思っていたんですけど、乗れば乗るほど偉大な人だっていうのが分かってきたので、大きいことも言えなくなっちゃったんですけど。祖父も父もジョッキーですし、2人の勝ったレースは自分も勝ちたいなって思いますね。
Q19.あなたのエネルギーになっている物は?睡眠ですかね。あとは食べるのも好きなので、この2つのどちらかが欠けちゃうとテンションが低いです。
Q20.一番の宝物は?宝物って聞かれると…ないなぁ。財布と携帯さえあればみたいな感じで生きているので。物って言ったらないんですけど、本当に、自分が乗せてもらった馬たちは、自分のために走ってくれたって思うとね。馬主さんのものですけど、宝物だなって思います。ちょっとカッコよく言いすぎちゃったかな(笑)。(Part2へ続く)
■次回予告
20の質問で、その素顔がだんだんと明かされてきた和生騎手。テレビをあまりつけない生活には、赤見さんもかなり驚き。競馬に対するストイックな姿勢は、2013年の活躍を裏付けるかのようです。さて、次回からはインタビューの本編に突入。昨年の大躍進に対する自己評価や、騎手を目指すと打ち明けた時の横山家大騒動など、話題盛りだくさんでお届けします。
【横山和生】
1993年3月23日生まれ、茨城県出身。父はJRA騎手の横山典弘、祖父は元JRA騎手の横山富雄、元JRA騎手の横山賀一とJRA調教師の菊沢隆徳が伯父という競馬一族。2011年に競馬学校第27期生として、美浦・勢司和浩厩舎からデビュー。JRA史上初、親子3代での騎手デビューとなった。同期は嶋田純次や杉原誠人ら。同年4月30日、新潟7Rで初勝利。2013年、エーデルワイス賞をフクノドリームで制し、交流重賞初勝利を挙げた。