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横山和生騎手(3)『息子から見てもかっこいい“横山典弘”』

  • 2014年01月20日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

偉大な父・横山典弘騎手

祖父も父もジョッキーという横山和生騎手。小さい頃から競馬関係者に囲まれて育ってきただけに、ジョッキーの道へ進むのは自然な流れ。と思いきや、はじめて打ち明けた時、父・横山典弘騎手は予想外の反応を見せたと言います。今回は、横山親子の知られざる物語をご紹介します。(1/13公開Part2の続き、聞き手:赤見千尋)


◆怒りのげんこつが炸裂

赤見 :私もそうですけど、みんなが一目置くトップジョッキーのノリさんがお父さん。考えただけで、ピリッと引き締まります。

和生 :いやいや。家庭では本当に普通の父親ですので。

赤見 :それが私たちは想像ができないです。ノリさんが家でだらんとしてる姿とか(笑)。

和生 :ひどいですよ(笑)。僕としては、仕事場で気難しそうにしているのが信じられなくて。実習生の時に初めてトレセンに来た時は、「あれ? なんであんなにすましてるんだろう?」って。もっと笑わないの、っていう感じでしたね。

赤見 :あはは(笑)。トレセンや競馬場では、ベテランのオーラがありますよね。

和生 :やっぱり仕事場ですからね。僕もそこは気をつけているんですけど、リラックスするのも大事ですが、仕事ですからその辺はわきまえてとは思いますね。

赤見 :育ってきた環境を考えると、和生騎手が騎手の道を目指すのはごく自然にかと思いきや、「ジョッキーになる」ってノリさんに言った時は怒られたそうですね。

和生 :はい。怒られました。中学2年生だったんですけど、たしか「騎手になりたい」っていうことをストレートに言ったんだと思うんです。そうしたら、厳しいお怒りのげんこつをいただきました…。

赤見 :えっ、げんこつをもらった!?

和生 :はい。

赤見 :騎手になりたいって言ったら?

和生 :そうです。脳天に響きましたね。すごく痛かったです。人生の中で一番痛かった。それまでも「将来どうするんだ」みたいな話は家族でしていたんですけど、「じゃあ俺、ジョッキーになろうかな」って軽い感じで言ったら、食事の席がいつも隣で手の届くところだったので、そのままげんこつが炸裂して。

赤見 :怖い…。

和生 :でも、今考えたらね、そう思いますよ。

赤見 :「簡単に言うな」っていう。

和生 :はい。そこで怒られて、自分でもいろいろ考えて。でもやっぱりね、もう一度まじめに考えてみても、「ジョッキーになりたいな」って思ったので。

父は1回そういうふうになったら「うん」とは絶対に言ってくれないので、本気でジョッキーを目指すことを黙認してもらうしかないなと思って。文句を言われないくらいがんばろうって、そこからは本当に、自分でいろいろ考えてやりましたね。スイッチが入りました。ヤル気スイッチが。

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和生「騎手になるって簡単に言うなって」


赤見 :弟さん(三男)も今年競馬学校に入学されますが、「自分もなりたい」って言った時にはげんこつを?

和生 :僕がですか? するわけないじゃないですか(笑)。言っても「あ、そっか。がんばれよ」くらいで。僕はげんこつをしてる暇があったら、競馬を見ていたいです。自分のこと以外は、今は気にしている場合ではないですので。

◆息子から見てもカッコイイ父親

赤見 :兄弟共に競馬の道に進んで、やっぱり注目されますよね。子供の頃から注目されていたんじゃないですか?

和生 :注目されてたんですかね? 僕はずっとこういう環境で生きてきたから、それこそこういうのが当たり前なのかなって思ってきたので。

赤見 :学校ではどうでした? 小学校や中学校とかでは。

和生 :全然。同級生に関係者の息子さんとか娘さんがたくさんいたので。競馬が好きな先生がいて、父親が勝つと「お父さん良かったな」みたいな感じで言ってもらったりしたんですけど、それも自分だけではなかったですしね。だから環境もちょっと違うかなと思うんですけど。

赤見 :最初に「俺、横山典弘の息子なんだ」って意識した時は覚えていますか?

和生 :気づいたらね、横山典弘の息子として生まれていましたからね。突然親父が変わったわけではないですので(笑)。だからいつ意識したのって言っても、全然分からないですね。

赤見 :そうですよね(笑)。もう、ごく当たり前のことで。

和生 :はい。小さい頃は競馬場に遊びに行ったりして、「あぁ、馬が走ってる」って楽しく遊んでる感じで。だから小さい頃から何となくは「騎手になりたいな」って思っていたのかな? 思っていたと思うんですけど、はっきり目指したのは中学2年生の時ですね。

赤見 :その夢を叶えて、お父さんと同じ舞台に立ったことで改めて注目されて、その分プレッシャーもあるのかなって思うのですが?

和生 :たぶん皆さんが思っているより、僕はそんなに気にしてないと思いますので。

赤見 :そういうもんですか。

和生 :そうですね。この20年間ずっとね、横山典弘の息子として生きてきたので。突然環境がガラッと変わったなら、あったのかもしれないですけどね。

赤見 :たしかに。和生君は、よく考えてからしゃべるところがノリさんに似ていますね。

和生 :そうですか? まぁ、半分血は入っているはずですからね(笑)。周りからは、自転車に乗っている姿が似てるって言われます。立ちこぎしている姿が似ているって。「ノリかと思ったよ」、「和生です」って(笑)。

赤見 :あ、たしかに動きが似てる! ちなみに、普段はなんて呼んでいるんですか?

和生 :普通に“親父”とか“お父さん”とか、どっちかですね。

赤見 :どんな会話をしているのか、想像がつかないです。

和生 :普通に、親子のバカな話ですよ。「あそこの飯がうめぇんだよ」とか、「この前あそこで美味しいカレー屋さんを見つけたよ」「おぉ! どこだよ」とか、結構そういう話を。あと、父は鳥が好きなので、小さい頃は一緒に鳥を見に行ったりしていましたね。

赤見 :そういう影響で和生君も魚が好きになったんですかね。

和生 :そうですね。生き物が好きになったと思います。

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赤見「親子で生き物が好きなんですね」


赤見 :私も本当に尊敬していますけど、身近で見ていて、ノリさんの騎手として一番尊敬している部分はどこですか?

和生 :どこって、一言では言えないですよね。考え方は人それぞれだとは思うんですけど、でもやっぱり、乗り方もかっこいいですし、馬について考えていることはすごく深いですし。

赤見 :「乗れば乗るほどすごいと思うようになった」っておっしゃっていたのがすごいですよね。

和生 :逆に、デビューする前の方が、軽く考えていたんですよね。「あんな後ろから行って、最後に外に出して差せばいいんでしょ」って、そんな感じで思ってたんですけど…本当にね、殴りたいですね(苦笑)。そんな簡単なものじゃないですしね。レースの流れとか他の馬の動きもありますし。すごく難しいことを、皆さん平然とした顔でやってのけるなって思います。

赤見 :乗ってみて初めて分かることですね。(Part4へ続く)


■次回予告
次回は、和生騎手インタビューの最終回。更なる高みを目指す和生騎手にとって、とても大切なノリさんという大先輩の存在。ノリさんからのアドバイスで、最も心掛けていることとは。そして、昨年の活躍で大きな弾みをつけ、さらなる飛躍を目指す2014年。その意気込みに迫ります。



【横山和生】
1993年3月23日生まれ、茨城県出身。父はJRA騎手の横山典弘、祖父は元JRA騎手の横山富雄、元JRA騎手の横山賀一とJRA調教師の菊沢隆徳が伯父という競馬一族。2011年に競馬学校第27期生として、美浦・勢司和浩厩舎からデビュー。JRA史上初、親子3代での騎手デビューとなった。同期は嶋田純次や杉原誠人ら。同年4月30日、新潟7Rで初勝利。2013年、エーデルワイス賞をフクノドリームで制し、交流重賞初勝利を挙げた。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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