◆絶えることなく受け継がれる芦毛伝説 白馬、ホワイトホースと呼ばれるのは一般に芦毛馬のことで、生まれたときは白ではなく黒っぽい毛色をしている。それが2歳ぐらいになると灰色になり、年齢を重ねるとともに徐々に白くなっていく。
たまに生まれつきの白毛もいるが、これは突然変異の一種で、私たちが映画や絵画でよく見かける白馬のほとんどは芦毛だ。黒、灰、白と変化していったものである。
1980〜1990年代は「芦毛の名馬」の時代だった。年度代表馬に輝いたタマモクロス、未曾有の競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップ、父子3代の天皇賞制覇を成し遂げたメジロマックイーン…。この時代は芦毛の大物が次々と誕生している。
白い芦毛馬は希少で、サラブレッドの1割にも満たない。それなのに、この時代に強くなっていく馬は、みんな芦毛馬だった。しかし1992年を迎えると、すでにタマモクロス、オグリキャップは引退。残るメジロマックイーンも5歳となり、そろそろ芦毛の時代も終わりといった雰囲気が漂い始めていた。
だが、その秋の2歳戦に、新たな大物伝承者が登場する。ビワハヤヒデである。その戦いぶりは衝撃の連続だった。9月のデビュー戦が10馬身の圧勝、続くもみじSもレコード勝ち。3戦目の重賞初挑戦、デイリー杯3歳S(現2歳S)に至っては、2歳レコードを1秒2も短縮する驚きの勝利を飾った。
しかし、暮れの朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS)で、ハナ差負けを喫してからどうも雲行きが怪しくなる。明けて3歳の共同通信杯4歳S(現共同通信杯)も2着。続く三冠クラシック第1弾、皐月賞もナリタタイシンの2着。さらに第2弾の日本ダービーも2着に敗れてしまう。
2歳戦をレコードに次ぐレコードで圧勝していた馬が、結局、タイトルは1つも取れないで終わった。ビワハヤヒデに早熟説が流れ始めたのはこのころからである。2歳戦で天才的な走りを見せた馬が、3歳になった途端に伸び悩んで消えていくことは多い。
早熟なのか、それとも巻き返しがあるのか。秋の初戦、神戸新聞杯は注目の1戦となった。だらしないレースをすれば、おそらくこのまま消えていくだろう。だが、ビワハヤヒデはここで早熟説をみごとに一掃する。最後の直線でムチを使うことなく抜け出し、余裕の勝利を収めたのだ。
迎えたクラシック第3弾の菊花賞。ビワハヤヒデは無冠馬にもかかわらず、日本ダービー優勝馬のウイニングチケットを抑えて1番人気に支持された。春と違ってレースぶりは堂々たるもので、最終コーナーで早々と先頭に立つと、直線は後続を引き離すばかり。3分4秒7の日本レコード(当時)で、初GI制覇のゴールを駆け抜けていた。
暮れの有馬記念は2着に敗れるが、明けて5歳になると再び快進撃が始まる。春の天皇賞を勝って2つ目のタイトルを奪取。続く宝塚記念でまたも日本レコードで勝利して、3つ目のタイトルを奪取した。
秋の天皇賞で屈腱炎を発症して5着に敗れ、ついに引退が決まったが、デビュー戦から前走のオールカマーまで15戦10勝(2着5回)。3着以下は一度もなく、うちレコード勝ちが4回。芦毛の伝承者、芦毛の名馬と呼ぶにふさわしい優秀な内容を残していた。
そのビワハヤヒデも引退し、とうとう芦毛の時代も終わりかと思えた。しかし2000年代に入ると、新たに芦毛の怪物クロフネが登場。ビワハヤヒデが引き継いだ芦毛伝説は、今も絶えることなく息づいている。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1994年6月12日
第35回 宝塚記念(GI) 阪神/芝右 2200m/天候:小雨/芝:良
1着 ビワハヤヒデ 牡5 56 岡部幸雄
2着 アイルトンシンボリ 牡6 57 藤田伸二
3着 ダンシングサーパス 牡5 56 熊沢重文
◆競走馬のプロフィール
ビワハヤヒデ(牡5)
父:シャルード
母:パシフィカス
騎 手:岡部幸雄
調教師:浜田光正(栗東)
馬 主:ビワ
生産牧場:早田牧場新冠支場
※年齢は当時の旧年齢表記
■1994年 宝塚記念
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