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誘導馬を勤め上げたユキノサンロイヤル、第三の馬生へ

  • 2014年03月11日(火) 18時00分
第二のストーリー


◆約6年の誘導馬生活

 ピンクのバンテージと白いシャドーロールが、漆黒の馬体に映えていたユキノサンロイヤル。2000年1月にデビューして、2007年7月のラストランまでの約7年半の間、競走馬として第一線で走り続けた。

 2005年には日経賞に優勝し、2006年のジャパンC(11着)には関東からただ1頭参戦。さらには障害戦でも勝利を挙げた個性派だっただけに、記憶に残っているファンも多いだろう。

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▲2005年日経賞優勝時のユキノサンロイヤル(撮影:下野雄規)


 2007年に10歳で競走馬登録を抹消された同馬は、東京競馬場で誘導馬として第二の馬生を歩み始めた。誘導のない時には、東京競馬場の4コーナー寄りにある乗馬センターでファンに向けて放牧展示もされていた。

 正門から入ってすぐのローズガーデンでも数回放牧されたが「場内の音などに敏感のようで、汗だくになってしまいました」(業務課・志村寿彦さん)とのことで、展示はもっぱら乗馬センターとなったようだ。

 誘導馬としては、先導ではなく後方を務めていた。

「初めて誘導した時に、馬場にも大人しく入っていきましたし、これは大丈夫だなと思ったんですよ。ところがゴール板を通過した所で止まった時に、ハミをグッと噛んでしまって、これはマズいと思いました(笑)」と、志村さんは誘導馬デビュー当時を振り返る。競走馬としてのキャリアが長いだけに、馬場に出るとレースの記憶が甦ってきて、気合いが入ってしまうのかもしれなかった。

 けれどもJRAのCM撮影時には、さすがはオープン馬という貫禄も見せた。

「パドックを周回するシーンの撮影で、カメラや反射板などがあるからイレ込むかなと心配しましたのですが、逆に堂々と歩いていました」(志村さん)

 約6年、誘導馬として親しまれてきたユキノサンロイヤルは、第三の馬生を送るために、東京競馬場から新天地への旅立ちが決まった。

「寂しかったですけど、元気なうちに送り出せて良かったです」。志村さんからは、ホッとした様子が伝わってきた。

◆新天地での生活がスタート

 特別悪さもしないけれど、人を見極め、威嚇するようなところもあったというサンロイヤル。プライド高き彼が向かった先は、埼玉県入間郡越生町にある「乗馬クラブアイル」。

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 その「乗馬クラブアイル」に、第三の馬生を送るユキノサンロイヤルを訪ねたのは、3月3日のことだった。

 にこやかに出迎えてくれたのは、乗馬クラブアイル代表の米谷朋子さん。馬屋番をしているえみちゃん(ボーダーコリーと柴犬のミックス)を「馬たちに何かあったら、必ず教えてくれる」と褒めた後、厩舎内の1頭1頭について、エピソードを交えながら、実に楽しそうに説明をしてくれた。

 重賞の常連で、安藤勝己元騎手が乗って1999年の鳴尾記念で2着となったテナシャスバイオ(セン21)もいる。今は「パッシェ」という名前で乗馬として活躍中だ。

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▲元気に暮らすテナシャスバイオ


 真っ白なダイワスコット(セン)は、今年で27歳。1989年〜1991年という競馬ブーム真っ只中に走っていた馬だ。最後は500万条件で走っていたので、地味な存在だったかもしれないが、27歳の今もここで生きているということに感慨深いものを感じたし、高齢の馬に出会うと「よく生きていてくれた」という感謝の念に近い思いを抱いてしまう。

 地方競馬(新潟)で22勝を挙げたダービーアール(セン24)は、「桜幸」という名となって健在だ。現役時代の調教師が訪ねてきて、同馬と再会し「お前、長生ききしろよ」と泣いていたという。

 米谷さんの話に耳を傾けながら、一頭一頭に物語がある・・・つくづくそう思った。

 そしていよいよ、ユキノサンロイヤルだ。

「昨年の東京競馬開催が終了した後の11月28日に、こちらにやって来ました。9月にはこちらに来ることが決まっていましたので、心待ちにしていたんですよ」と米谷さん。

 サンロイヤルの競走馬時代のオーナー・井上基之氏が所有していたユキノアメージングやユキノプリンセス(大井競馬)も、アイルに在籍している。その縁もあって、サンロイヤルはここで功労馬として余生を過ごすことになった。

「やって来た日だけは鳴いていました。東京競馬場の担当の方から『どうですか?』と電話頂いた時も鳴いていましたが、その日だけでしたね。翌日からは静かでしたし、運動のために乗ってみたのですけど、何の反抗心もないんですよね」(米谷さん)

◆長年の競走馬生活が抜けなくて…

 改めてユキノサンロイヤルの成績を見返すと、日経賞での勝利もあれば、障害戦での勝利もあって、しかも10歳まで無事に現役を続けて72戦もしているということに驚かされた。

「普通は左右どちらかにバランスが偏っていたり、腰が甘かったりというのがありますけど、本当にバランスの良い子なんです。それに軽い感じもしないのですが、鈍重でもない。表現が難しいですけど、粘っこくてスタミナがありそうです」と米谷さんはサンロイヤルを評する。この馬の持つバランスの良さやスタミナが豊富なところが、平地と障害の両方で成績を残し、長い間無事に走り続けられた理由のように思う。

「人に媚びない性格ですね。頭も良いですよ。覚えも早いですしね。でもウチのインストラクター(杉浦弘一さん)は、この子が本気を出していなくて、ほどほどのところでやっているのがよくわかるみたい。多分、この辺で良いだろうって自分で決めているんじゃないでしょうか(笑)。最初に厩(うまや)に入った時には、部屋に入るなって威嚇してきました(笑)。最近は馬服を着せる時など、触らせてくれますけど、しつこく触っていると私の服を噛んで『もう放っておいてくれ』って感じの仕草をしますよ(笑)。

でも攻撃的ではないですよね。サンデーの子ですから噛みついてくるかなと思いましたけど、そういうわけではくて『やめてくれないか』っていう感じで静かに小さく噛んでくるだけですからね。ただ町内のお知らせの放送があって、キンコンカンコンと音がした時だけ、急に耳がピンと立って、スイッチが入ってジタバタし始めました。あの時は、さすがに怖かったです(笑)。競馬場の場内放送と同じ響きだったのかもしれないですね」(米谷さん)

 場内の音に敏感で、誘導の時もグッとハミを噛んでしまったという、東京競馬場時代のユキノサンロイヤルともリンクしている。

 写真撮影をお願いすると、サンロイヤルのために用意したという美しいストーン入りの頭絡を装着してくれた。ストーン入り頭絡を着けた姿は、まるでキラキラ王子のよう。漆黒の馬体によく似会っていた。

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▲“キラキラ王子”ユキノサンロイヤルと米谷さん


 話を伺っているうちに、ご飯の時間が近づいてきた。

「無駄なことはしないですけど、ご飯の時は欲しくて良く鳴いています」とインストラクターの杉浦弘一さんが教えてくれた。その時サンロイヤルが、杉浦さんにそっと近づいてきて袖のあたりを甘噛みした。「甘え下手なんですよ。これでも地味に甘えているつもりなんでしょうね(笑)」(杉浦さん)

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▲杉浦さんに甘えるユキノサンロイヤル


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▲餌をねだるユキノサンロイヤル


 人に媚びないキラキラ王子のサンロイヤルが、ご飯の時だけは甘えたり、馬房から鼻面を伸ばしてひょうきんな顔をしていたのが印象的だった。その表情を目にした時、サンロイヤルの物語をもっと深く知りたいと思ったのだった。

(取材・写真:佐々木祥恵)


■乗馬クラブアイル
見学可能です。詳しくは公式HP(http://www.jouba-airu.com/)をご覧ください。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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