2014年3月1日、晴れて新規開業を果たした森田直行調教師。石橋守調教師や飯田祐史調教師など、元人気騎手の開業が話題になる中で、森田調教師はまた違った注目を集めました。JRA史上初“厩務員から直接合格した調教師”誕生。厩務員の激務をこなしながら試験勉強に励んだ日々。と同時に、ガンと戦った奥様と二人三脚での挑戦でもありました。今月は、前例のないことに立ち向かった、森田調教師の生き様に迫ります。(聞き手:東奈緒美)
◆厩務員で受かるなんて自分でも思っていなかった東 森田先生が調教師試験に合格された時、「厩務員から調教師へ」と話題になりましたよね。厩務員さんから助手さんを経てという方はこれまでにもいらっしゃいましたが、ダイレクトにというのは初めてという。ずっと「調教師になりたい」という思いを持たれていたんですか?
森田 いやいや。正直、最初は全然だったんですよ。当時僕は、福島信晴厩舎で厩務員をしていましてね。同じ厩舎に、全国競馬労働組合から独立した「21世紀」という組合の西谷組合長という方がいたんですが、その方が若い組合員全員に「みんな調教師試験を受けてみろ」って。それで実際に受けたのが、僕だけだったんです。
東 あれっ(笑)? じゃあ、厩務員さんをされていた時に「絶対に調教師になってやる」というような志だったわけでは…?
森田 ないですね。がっかりさせてしまいました? 僕、こんな性格ですからね。“栗東の高田純次”って言われていますよ(笑)。まぁ、厩務員で調教師試験なんて、誰も受けていなかったですしね。
東 何で受ける方がいないんですか?
森田 厩務員だからってことで、「受けても無駄だぞ」みたいなことも言われていましたからね。昔、厩務員で願書を取りに行って、「お前、何しに来たんや」って言われた人もいたそうですよ。
東 そんなことが…。でも、受けるのに資格って?
森田 もちろん、誰が受けてもいいんですよ。でも、そんな話も聞いていたもんですから、願書を取りに行くのも怖かったですしね。だから、まさか受かるなんて思っていなかったです。そんなでしたから、最初の3、4年は勉強もダラダラとしていましたよね。さすがに「このままでは仕方がない」と思って、本腰を入れて勉強するようになって。それで受かる事ができました。
東 合格されたのが2012年の51歳の時、11回目の挑戦だったそうですね。それだけ長い間努力をし続けるって、なかなかできることではないと思います。
森田 どうなんですかね。ひとつあったのは、その時の公正室の室長が、僕の競馬学校時代の教官だったんです。試験に落ちれば次の年も公正室に願書を取りに行くわけですけど、辛い時にその方に相談したら、「調教師試験に受かるかどうかなんて、厩務員でも助手でも関係ないぞ」って言ってくれて。
東 応援していてくださったんですね。
森田 そうそう。その言葉を聞いて、またヤル気になって。それで一生懸命勉強して、受かることができたんです。
▲東「周りからの応援の言葉でがんばれたんですね」
◆みんなの倍は勉強しないと…東 助手になられてから調教師へというのは、考えられなかったんですか?
森田 なんせ僕は、体重が重たかったですからね。多い時で70キロありました。昔は助手になるのにも体重制限があったんです。今は時勢に任せてなくなったんですけど、以前は年に1回面接の時に体重測定があって、規定は60キロだったかな? で、その制限がなくなって、オレンジ帽(調教厩務員)というのができて。僕も「自分で乗りたいな」と思って、福島厩舎の時にオレンジ帽になりました。
東 じゃあ、馬に乗っていらっしゃったんですね。
森田 でも、30歳過ぎてからですからね。しかも、乗っていたのは3年間くらい。だんだんと体重が増えてしまって、調教師に「もう乗らんでいい」って(苦笑)。
東 年を重ねると、体重ってなかなか落ちないですもんね。厩務員さんのお仕事は時間の拘束も長いですから、勉強する時間を作るのも大変だったんじゃないですか?
森田 1日10時間はしていたかな。睡眠時間は、1時間、2時間くらいで。
東 えっ。それを毎日ですか?
森田 毎日ですね。
東 すごい…。フラフラになりそう。
森田 フラフラでしたよ。教科書でもなんでも、勉強道具を自分の担当馬の馬房のハナ前に置いてね。暇なときにパッと見て、馬の運動中に思い出しながら、分からなかったらまたパッと見てという感じで。よく「何時間勉強してる?」とか聞き合うんですけど、5時間と聞けば、自分は10時間しようと思いました。厩務員ですから、やっぱり受験者の中でトップを取らないと受からないと思ったんです。トップを取るためには、みんなの倍はしないといけない。だから、休みの日は20時間ぐらい勉強していました。
東 1日のほとんどの時間を勉強にあてられて。
森田 朝の4時に起きて、そこから夜中の12時ぐらいまで。まぁ、さすがに1年中ではないですけどね。試験の何か月か前からは、毎日そんな生活でした。
▲森田「厩務員だから、みんなの倍勉強してトップで受かろうと思った」
東 朝も早いお仕事なのに、それは本当に大変なこと。試験は、一次が筆記で、二次が口述ですよね。二次試験が厳しいというお話をよく聞きます。
森田 そうですね。一次試験が広く浅くで、二次試験は広く深く。1つの質問に20〜30くらい答えないといけないという。
東 1つの質問にですか?
森田 そうです。質問に答えるとまた突っ込まれるので、答え続けないといけないんですよね。それこそ、向こうが「もういいぞ」というくらい。1つの部屋に8人くらい試験官がいるので、8対1。1部屋がだいたい30分で、それをA、B、C、Dって4部屋行くんです。
東 ということは、2時間もその試験に耐えないといけないんですね……怖い。
森田 怖いですよ(苦笑)。初めての時は、頭が真っ白になって固まりましたもん。
東 ひと言もしゃべれずに帰ってきた、というお話も聞いたことがあります。
森田 あまりの緊張感で気を失ったり、吐いてしまった人もいたみたいですからね。それに耐えられるくらいじゃないと、百戦錬磨の馬主さんを相手にはできないということなんでしょうね。
東 たしかに、企業の経営者という方も多いですし。
森田 そういう方と向き合っていくには、それくらいの試験でビビっているようではダメなんでしょう。そりゃあ、度胸もつきますよ。あの試験を受けたら、怖いものは何もないっていうくらいになります。(次週、第2回につづく)
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森田調教師 プロフィール
【次回予告】
JRAの長い歴史の中で、厩務員から調教師への第一号となった森田調教師。意外にも、挑戦のきっかけとなったのは、厩舎の同僚の言葉。そもそも、競馬の世界に入るつもりすらなかったといいます。それが、何かに導かれるように競馬の世界に身を置き、いまや調教師。親友・矢作芳人調教師もビックリの、道を切り開いてゆく秘訣とは。