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自己模倣の呪縛

  • 2014年05月10日(土) 12時00分


◆武豊騎手にもあった「自己模倣」

 横浜・根岸の「馬の博物館」でのロケを終えた私たちは、夕刻、中華街へと繰り出した。

「わー、あのチャイナドレス素敵ーっ!」

 と、キャスターのユリちゃんが、予約した店の向かいのブティックに飛び込んだ。

 その後ろ姿を見やりながら、ディレクターのレイが言った。

「キズナの敗因は、やはり骨折だった、ってことなんスかね」

 レイの目は私に向けられている。「励」と書いてレイと読む彼に、親御さんは何に励むよう祈りをこめたのかはわからないが、今の彼は、情報番組の演出と、それ以上に毎週末の馬券予想に励んでいる。

「ウーン、どうかな。トウカイテイオーが5着に負けた92年の春天、覚えているだろう」

 そのレースはトウカイテイオーとメジロマックイーンの「天下分け目の決戦」として注目されたが、テイオーはマックイーンに1秒7も突き放されてしまった。

「はい。あのときも、後日、テイオーの骨折が判明したんですよね」

「レース中にやっていたのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。今回もそうだよな」

 私が言うと、レイはサンダルの親指をピクピクさせた。

「わからないままでいいんスか」

「おれに訊くなよ」

「なんか島田さん、『わからないところにこそ物語が生まれる余地があるからいいんだ』とか言いそうだなあ」

 図星だったので返す言葉に詰まっていたら、ユリちゃんが口をとがらせて戻ってきた。

「あそこに3800円で出てるのって形がイマイチで、『これいい!』と思ったら2万円とかするんですよー」

 レイと違い、ユリちゃんは誰に対してしゃべっているのかわからない。おそらく本人もそうなのだろう。

 まだ私たちのテーブルが準備できていないというので、店の前に立ち、道行く人々を眺めながら時間を潰した。薄暗くなるにつれ、メルセデスやジャガーなどの高級車が多くなってくる。

「武さんの本、読みましたよ」とレイ。

「そうか、ありがとう」

「あの武さんでさえ、自己模倣に走った時期があったんですね」

 流し読みではなく、きちんと言葉を受けとめてくれたようだ。

「うん。震災の年や、その次の年あたりな」

 武豊騎手は、勝ち鞍が伸びなかった時期、年間200勝を楽に突破していたころの自身のフォームをビデオで繰り返し見るなどしていたという。

「島田さん、何回か言ってましたよね。物書きが一番しちゃいけないのは自己模倣だって」

「おれだけじゃなく、いろいろな作家が言ってるよ」

「自分の成功体験にすがるのは、やっぱりよくないことなんスかね」

 とレイが、右の足の裏を左のくるぶしに当て、ボリボリと掻いた。

「成功したときの自分や周りの状況と、今の自分と周りがまったく同じなら、それでもいいんじゃないか」

「ああ、なるほど」

「自分も周囲も以前と違うのなら、昔の自分をマネしたって上手くいくわけがないわな」

「島田さんは、ないんスか。自己模倣をやってしまったこと」

「あるに決まってるだろう。自己模倣がダメだって言う物書きは、みんなそれをやって失敗したから言ってるんだよ」

 そのとき、席が用意できたってよ、とケンのサトさんが呼びに来た。

 エレベーターのボタンを押した自分の指を見つめたままレイが呟いた。

「島田さんは、それ、武さんに言ってあげたんスか」

「いや、言わなかった」

 というより、まだ成績がV字回復する前の、苦しんでいる真っ只中だっただけに、言えなかった。

 しかし、彼は、その後ほどなくして自己模倣をやめた。自身の体が、年間200勝していたころとは変わったことを認め、受け入れたからだ。すると、また勝ち鞍が増えはじめ、昨春キズナでダービーを勝ち、秋にはトーセンラーでGI通算100勝を達成した。

「ひとマネのほうが、まだいいってことか」

「まだいいどころか、それこそが、違う自分になる第一歩だろう」

 レイが首をひねってため息をついた。彼も何か行き詰まりを感じているのか。

「次回のナレーション原稿、島田さんの文体模倣をしてみようかな」

「いいんじゃないか。お前みたいな典型的なB型人間にはおれの文章は淡白すぎるように感じられるかもしれないけど、だからこそ面白いと思うよ」

「ハハハ。淡白だって感じてたこと、バレてたんスね」

 実は私は、レイのナレーション原稿の一部分を何度か模倣したことがある。

 ホースマンの集合写真を「どの顔も嬉しそうだ」と描写したり、保田隆芳氏に関する原稿のシメを「保田は晩年までこう言っていた。世界を見ろ。すごいやつがいっぱいいる」としたり。

 伊集院静氏や浅田次郎氏ら、明らかに自分より格上の作家ばかりではなく、「優駿」や「週刊ギャロップ」などに寄稿している若い書き手の文章を見て、

 ――なるほど、こうする手もあるのか。

 と無理なく思えるようになってから、以前より書く苦しみが少しやわらいだ。

 と同時に、自分が書いたものをあまり読み返さなくなった。原稿を送る前は何度も推敲するが、世に出てからの評価は純粋に他人に任せるようになった。それでずいぶん気が楽になった。

 自己模倣はダメだダメだと言いながら、本当にできるようになるまで20年以上かかってしまった、ということか。

 要は、この年齢になってようやく、前とは違う「今の自分」をきちんと(かどうかわからないが)認め、受け入れられるようになった、ということだと思う。

 親が要介護になり、最近のことだと思っていた「奇跡のラストラン」が昔話の部類に入ることを思い知らされるなど、周囲に変化には気づいても、自分の変化に気づくのはこんなに遅くなった。

 どうやら神様は、意識しないと人間は自己模倣をするようにつくったらしい。

 これからも気をつけなければ。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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