■“洋一・祐一”親子を支え続けた祖父の偉大さ 競馬ファンなら誰もが知っているであろう福永洋一。落馬事故で騎手生命が断たれて35年の月日が経つが、2010年から高知競馬場で毎年開催している「福永洋一記念」には、今もなおたくさんのファンが会いにきてくれて、帰り際にはいつも「洋一、また来年も来いよ!」「洋一、待ってるからな!」という温かい声援をたくさんいただく。息子として、そんなファンのみなさんに感謝するとともに、改めて父親の偉大さを感じる瞬間でもある。
第5回福永洋一記念のポスター
福永洋一記念を勝ったエプソムアーロン関係者の表彰式
父親が事故に遭ったのは、自分が2歳のときだ。当たり前だけど、当時の記憶はまったくない。物心がついたときには母方の祖父と祖母が一緒に住んでいて、祖父が母親と一緒に父親のリハビリに専念しているあいだ、祖母が自分と妹の面倒を看てくれていた。たしかに父親は介護が必要な状態だったけれど、自分にとってはそれが普通の生活だったから、取り立てて寂しい思いをした覚えもなければ、周りの子と比べて自分の環境が特別だと感じたこともなかった。
でも、今ならわかる。自分たちにそう感じさせないような環境を、周りの大人たちが必死になって作ってくれていたんだなと。その点においては、やはり祖父母の存在が大きい。その祖父母は、父親にとっては義理の両親だ。もともとは、都内でお弁当屋さんを営んでいたらしいんだけど、父親の事故をきっかけに、都内の家を引き払って栗東にきてくれたのだ。祖父は自分の息子以上といっていいほど父親を溺愛していて、幼心にもそれは十分に伝わってきた。
祖母は物静かな優しい人で、祖父は多趣味のかっこいい人だった。そんな祖父は自分にとって本当に大きな存在で、いろんな部分で今につながる影響を受けている。中学生のとき、初めてできた