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キンカメと似た成長曲線をたどるワンアンドオンリー/トレセン発秘話

  • 2014年05月28日(水) 18時00分


◆橋口弘次郎のいっぱいの思いを背負って、ワンアンドオンリーが日本ダービーの舞台に立つ!

 96年の日本ダービー。1番人気に推されたダンスインザダークが抜け出した時、誰もがその勝利を確信した。調教師の橋口弘次郎も例外ではなかった。しかし、ゴール前でその確信は無残に砕かれた。フサイチコンコルドの切れ味に屈したのだ。橋口は「何が起こったのか、分からなかった。そして、勝ち馬を知って競馬という怖さを知った」。

 歓喜に沸くフサイチコンコルドの輪の中にいた調教師の小林稔を見て「俺との執念の差。小林さんのほうがダービーへの思いが俺より強かった」と肩を落とした。

 苦々しいあの日のことを振り返り「今思えば俺が若かった。着差だけが問題だ、なんて思っていた。競馬はそんな簡単なものじゃないのにな」。そう言うと自嘲気味に笑った。これまで一貫してダンスインザダークの敗因は執念と言い続けてきた橋口が、己の若さを新たに敗因とした。それでも「勝たせてやれなかった」との後悔に変わりはない。

「今なら、プリンシパルSは使わないという選択肢を選んでいたんじゃないかな」。ダンスインザダークは皐月賞を熱発で回避し、ローテーションに狂いが生じた。ダービーを“勝つ”ための過程が崩れていたとも言える。

「その点ではワンアンドオンリーに不安は全くない。ラジオNIKKEI杯2歳Sを勝てたことで、ダービーから逆算してレースを使うことができた。思い通りだよ」

 “順調”これこそがワンアンドオンリーに、ダンスインザダーク以来の手応えを得ている理由と言える。

 04年の日本ダービー。橋口2度目のダービー2着は、ワンアンドオンリーの父ハーツクライでのものだった。「ハーツの時はキングカメハメハがいたからね。気楽な立場だった」

 もともとは「この馬をダービーに出せないようでは厩舎の看板に傷がつく」と豪語するほどの期待馬だったが、「あの時点ではまだまだ緩かった。キンカメ相手に勝てると言えるほど完成してなかったからね。完成度という意味ではワンアンドオンリーのほうが高いな。キンカメ相手でも? もちろん一目置く存在ではあるけど、かなわないとは思わない…かな?」。

 ハーツ以上の“完成度”こそが、橋口悲願の日本ダービー制覇へ期待が膨らむ要因でもある。

 90年の日本ダービー。橋口が初めてその舞台に立った。厩舎開業以来、今も続ける年に1度のスタッフ表彰で、この年はツルマルミマタオーの厩務員・甲斐正文に「俺を初めてダービーに連れていってくれた」として特別賞を設けたほどうれしかった。

 あれから24年。その甲斐正文は早世。甲斐が連れていってくれたダービーにはその後、18頭出走して2着が4度。そして残されたチャンスはわずか2年。そこに現れたワンアンドオンリーの担当者が甲斐の息子の純也だ。定年まで時間に限りがある橋口に「どうしても先生のところで働きたい」と志願した甲斐純也。人馬ともに親子の縁がある。

「俺の初めてのダービーは親父の正文で、俺に初めてダービーを…。いや、これ以上言うのは、やめておこう」

 続く言葉は誰にも想像できるが、橋口は満面の笑みでその言葉をのみ込んだ。

「この言葉をレース後に言えるようにしないとな」。橋口弘次郎のいっぱいの思いを背負って、ワンアンドオンリーが日本ダービーの舞台に立つ!
(講談師・旭堂南鷹)

※本日は『吉田竜作マル秘週報』も更新されております。下部のバックナンバーからご覧ください。

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