左から菅原勲調教師、メイセイオペラ、牛山基康さん(ケイシュウニュース)、松尾康司さん(テシオ)
◆菅原勲調教師「韓国で種牡馬としての役目を終えたら、日本に戻したいです」韓国は済州島にいるメイセイオペラに、菅原勲調教師が会いに行きました。今年20歳になったメイセイオペラと、騎手を引退して調教師の道を歩んでいる菅原氏。地方競馬所属として唯一中央のGIを勝った英雄コンビの、再会を目撃しました。
赤見:やっぱりメイセイオペラは特別な存在ですか?
菅原:当然ね。たくさんの馬たちに関わらせてもらいましたけど、その中でも特別な存在の馬が2頭いて。一頭はトウケイニセイ。僕にレースを教えてくれた馬です。メイセイオペラは僕の知名度を上げてくれた、全国区にしてくれた馬ですね。
赤見:トウケイニセイがレースを教えてくれたんですね。
菅原:そうなんですよ。例え出遅れても、落ち着いて乗れば勝てるよってことを教えてくれました。人と馬の信頼関係というか、馬を信じることを教えてくれたんですね。それがあってからメイセイオペラに出会えたことは大きかったと思います。
赤見:フェブラリーSを勝ったのは、相当大きかったんじゃないですか?
菅原:もう、すごく大きいでしょ。それがなかったら、ただの田舎のジョッキーだったと思いますよ(笑)。勝った時よりも、そのあとというか。毎日マスコミが取材に来て、それが1か月半続きましたから。地方の馬が中央のGI勝つのが初めてだったでしょう。もう、ずーっと取材で、毎日同じこと言ってました(笑)
赤見:あのレースは、競馬界に与えたインパクトは計り知れないですよね。
菅原:未だに地方からは勝ってないですからね。ファンの方々もメイセイオペラのレースを今でも覚えててくれますし、本当に有難いですよね。
赤見:メイセイオペラってどんな馬でしたか?
菅原:真面目でした。全くレースで手が掛からないというか、常に一生懸命走ってくれる馬でした。乗り役としては、本当に乗りやすかったですよ。人の方が落ち着いてれば、いい感じに先行していく馬でしたから、どこから脚を使うか、ちょっと調整をしてあげればよかったんです。追い出しをなるべく遅めに、ということだけ考えてました。東京の長い直線も上手に走ってくれたし、直線の半ばくらいでは「勝てるな」って感じでしたから。
赤見:あの時の大歓声、覚えてますか?
菅原:覚えてますよ。そのあとの勲コールも、ものすごく感動しましたね。それを体験出来たって、今改めて考えてもすごいことだと思います。
引退した後は、最初北海道で種牡馬になったんですよ。北海道だとすぐ会いにいけるし、実際毎年夏に会いに行ってたんだけど、韓国となるとなかなかね。
赤見:実際に再会してみてどうですか?
メイセイオペラと再会した菅原勲調教師
菅原:言葉もないですね。(しばらくメイセイオペラと遊ぶ)
久しぶりに会ったけど、すごい元気。これだけ元気でいてくれれば嬉しいですね。幸せそうに暮らしててすごく嬉しい。韓国まで会いに来れて、よかったです。
体は変わらないですね。種牡馬の体してますよ。何年ぶりだろう。北海道にいた時は毎年会いに行ってたから。ニンジン持って会いに行ってました。20歳になったっていうけど、若いですね。
メイセイオペラをみつめる菅原勲調教師
赤見:メイセイオペラは相当元気良かったですけど、勲さんはどうですか?
菅原:最近あんまり元気なかったんですよね。メイセイオペラを見て、自分ももっと頑張らなきゃって思いました。負けられないです。
元気一杯のメイセイオペラ
−ここでなんと、メイセイオペラを担当していた、柴田洋行元厩務員から電話がありました−
菅原:「もしもしどうも。今さ、メイセイオペラに会いに来てるんだよ。ホントに(笑)。ホントホント。すごいタイミングで電話来るから驚いた。バリバリ元気だよ。柴田も会いに来いよ」
赤見:会いに来ることは知ってたんですか?
菅原:いや全然。全く関係ない用事でした。すごいタイミングですね。何か感じたのかもしれないですけど、柴田もビックリしてました(笑)。なんか嘘っぽい話だけどホントの話だからね。
赤見:勲さんは現在調教師として活躍していらっしゃいますけど、騎手の時とはまた違うご苦労があるんじゃないですか?
菅原:楽しいですけどね。苦労っていうのは、やっぱり馬主さんに対してレースで成績を出さなければいけない責任がありますよね。でも調教や管理も含めて好きだから楽しいです。
赤見:ジョッキーに対してもどかしい気持ちはないですか?『俺だったら勝ってた』みたいな。
菅原:一年目は頭数が少ない中であれだけ勝ったから、それほど感じなかったんです。馬をきっちり作れば誰が乗ったって勝てるんだなって思ってました。でも去年今年と思うのは、馬に力差がない時は、やっぱり騎手で違うんだなって(苦笑)。ある程度、レース前は指示するけれど、でもレースは自分だけで走るわけじゃないから、上手くいかないことの方が多いってこともわかってますから。だから、その子の実力の中でどれだけ頑張ってるかを見ます。頑張ってくれたなら、負けても何も言わないし。勝ってもそれがないなら、言いたくなりますよね。騎手は魅せる仕事だし、見た人たちが『頑張ってるな』って思うようじゃないと。そういうものを体から出せる騎手にならなきゃダメでしょう。
赤見:勲さんが背負ってた看板を継ぐジョッキーはいますか?
菅原:今のところ岩手にはいないかな。今はまだね。ていうか、自分も負けず嫌いだから、一生そういう人はいないって言ってるかもしれないです(笑)。簡単に出てこられちゃ困りますね。
赤見:騎手から調教師への転身というのは、難しい面もあるかと思うんですけど。
菅原:その部分でも、名騎手が名トレーナーにはなれないって言われてるから、覆したい部分はありますね。
僕の場合は、厩務員たちと話し合うことを大切にしています。やっぱり、メイセイオペラみたいな強い馬が出る時は、騎手、厩務員、周りの人間全員の意見が一致して、同じ方向に向けて頑張っていたので。そうじゃないと結果は出ないでしょう。厩務員さんと話し合って、『この馬はこうした方がいい』っていう意見を聞きますね。自分は調教して感覚を掴むけど、毎日世話する厩務員さんはまた違った意見かもしれないし。そういうのはどんどん言ってもらって、最終的に判断するのは僕。みんなの意見が一致しないと、一頭一頭良くならないですから。誰か一人が偉いんじゃダメなんですよ。みんなが意見を言える厩舎じゃないと。
さっき電話があった柴田(メイセイオペラ担当厩務員)を見てて、そういう形でみんなで話し合って育ててるのを見てるから、自分もやっぱりそういう方向で行きたいなと思うんです。厩務員さんは毎日面倒見てるんだから、一番大きな部分でしょう。
最終的な理想は、僕は外に出て牧場を回ったり、馬を探したりしてて、厩舎はしっかり機能するっていう。自分で厩舎にいていちいち指示出してるようじゃ、まだまだです。調教師は馬集めが一番重要だから。馬主さんも含めて、動けば色々な出会いもありますし。僕の場合は乗ってた時にいくらか名前が知られていたから、相手の方が知ってくれていることが多いので、話はしやすいですよね。これも、メイセイオペラのお蔭です。
赤見:普段想い出すことはありますか?
菅原:そりゃメイセイオペラの話になれば想い出しますよ。でも普段はないですね。いつまでも過去の栄光にすがってるみたいなのは嫌なので。そればっかりで食べていけないですし(笑)。自分はそう思ってるけど、周りはまだ『メイセイオペラの菅原』って言う風に見ますから、もちろんそうやって覚えててもらえるのも嬉しいんですけど、でもいつかそこを超えられたらと思います。それが夢ですね。
メイセイオペラとじゃれあう菅原勲調教師
あともう一つ、メイセイオペラには本当にお世話になったので、韓国で種牡馬としての役目を終えたら、日本に戻したいです。簡単ではないかもしれないけど、余生は日本で送らせてあげたいですね。