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【祐一History vol.10】『自分という人間は、いい流れや大事なときにポカをする』

  • 2014年08月05日(火) 18時00分
祐言実行


◆GI制覇の喜びもつかの間、翌週に招いた事態


 キングヘイローで挑んだダービーは、スタート直後から持っていかれて14着に惨敗(関連コラム『キングヘイロー・エピファネイア・レッドリヴェール、祐一の“ダービー”』はこちら)。秋初戦の神戸新聞杯は、岡部さんに乗り替わりになった(3着)。その後、自分の手に戻り、京都新聞杯(2着)、菊花賞(5着)、有馬記念と戦ったが、有馬記念の6着を最後に、完全に自分の手を離れた。

 しかし、その秋には、記念すべきGI初制覇のパートナーとなるプリモディーネとの出会いがあった。初戦は幸先輩が騎乗して、京都のダート1400mを快勝。2戦目のファンタジーSから手綱を任されたのだ。初めての芝、それもいきなりの重賞ではあったが、追い切りでの感触から芝でもやれる手応えは十分に感じていたし、とにかくいい動きだったことを鮮明に覚えている。当日の評価は6番人気。でも、勝てる自信があった。

 ちなみに、プリモディーネの調教師だった西橋さんは、家が近所だったこともあり、息子さんとは幼なじみ。調教師である豊治さん、その弟で、現在も調教助手をやっている昇さんも含め、自分が幼いころから西橋家と福永家は仲が良かった。そういうつながりもあって、当時はフィガロ(97年京都3歳S1着、同年朝日杯3歳S3着)やプリモディーネなど、伊達秀和オーナーの馬を中心にチャンスをもらっていた。

 ファンタジーSは、期待通りの走りで快勝。年明けは、チューリップ賞4着から桜花賞に向かった。人気は、スティンガー(岡部幸雄)、フサイチエアデール(武豊)、ゴッドインチーフ(河内洋)に次ぐ4番人気。上位人気の1頭ではあったけれど、勝つシーンをイメージできていたわけではなかった。道中は、河内さんとユタカさんを見ながらの後方からの競馬で、動くに動けない位置にいた。でも、それが逆に功を奏して、いいタイミングで抜け出すことができ、あれよあれよで勝ってしまった。

祐言実行

▲デビュー4年目で手にしたGIタイトル(撮影:高橋正和)


 正直、自分のGI初制覇は、偶然の産物だった。最初のGI勝ちはそんなものだとよく聞くが、本当のその通り。ガッツポーズはしたものの、自分でもビックリの勝利だった。当時は、数こそたくさん勝っていたけれど、自分が描いた通りに乗れて、なおかつ勝てたレースなんてごくわずか。だから、桜花賞を勝ったとき、こういうレースをあらかじめ自分でイメージして、実践して勝てるようにならないとダメなんだなと思ったものだ。今はあのときの桜花賞のような競馬を意識的にすることができる。勝ち負けは別として、自分がイメージした競馬がまったくできなかったというレースは、10回のうち1回くらいだ。それが経験であり、技術なんだと今はわかる。

 自分という人間は、いい流れのときや大事なときに限ってポカをする。

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祐言実行とは
2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。

1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。

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