▲今週は、18歳でイギリスに渡った安藤さんの波乱万丈な海外生活をお届けします
カナダで日本人ジョッキー第一号として活躍していた安藤裕さん。しかし、最初に行ったのはイギリス。しかも、騎手ではなく調教師になるためだったと言います。何のつてもなく夢だけを抱えて、単身18歳でイギリスに降り立った安藤さん。自身でも想像だにしなかった、目まぐるしい海外生活が始まります。(第1回のつづき、取材:赤見千尋)「お前は日本人か?」「I win for you!」
赤見 安藤さんはいつ頃からジョッキーになりたいと?
安藤 ホースマンになるために、最初はイギリスに行ったんですが、その時は調教師になるつもりでした。中学生まではジョッキーになりたいと思っていたんです。だから乗馬を習おうと思ったんですけど、父がダメだと言ったんです。「競馬学校に行くつもりなら、乗馬は受かってからでもいいだろう。受かりもしないのに、そんなに意気込んでどうするんだ」っていうのが父の考えで。スポーツをやっている人間だから、「そんな甘いものじゃない」ということだったんでしょうね。
赤見 お父様はオリンピックに出場されたそうですね。何の選手でいらしたんですか?
安藤 射撃です。だから、猟に行くって、冬はよく北海道に行っていたんです。それで浦河の牧場の人とも仲良くなったみたいです。そこに僕もついて行って、馬の世界がすごく好きになったんです。
赤見 お父様はセタノキングなどの馬主さんでもあったのは、そういうつながりだったんですね。でも、乗馬はダメだって言われて、それからどうされたんですか?
安藤 僕は視力が悪かったので、結局日本の競馬学校は受けられなかったんです。中学生なりの挫折ですよね。それで、調教師になろうと思ったのが高校1年生の時。高校を卒業したらイギリスに行くと決めたんです。まぁ、当時の僕は、ハローのスペルを「Hellow」って書いていましたけどね。英語の試験の点数は3点。卒業できないくらいの成績でした。
赤見 英語が得意だったわけじゃないんですか。でも、なぜイギリスだったんですか?
安藤 あの頃、藤沢和雄先生がイギリスのニューマーケットで勉強したというのが雑誌にたくさん出ていて。「イギリスに行けば僕も調教師になれる」と思ったんです。もうひとつの理由は、フランキー・デットーリがシングスピールに乗っている姿を見て、それがあまりにもかっこよくて。「何これ、かっこいい! どこの国? イギリス? じゃあイギリスに行こう!」って。
赤見 それで単身イギリスに。
安藤 はい。行ったのはニューマーケットじゃなくて、ケントっていう「ピーターラビット」のお話が生まれたところなんですけどね。向こうでまず語学学校に入りました。そこは乗馬もあって、午前中は英語、午後は乗馬という生活。そこに6か月いましたね。
憧れのシングスピールがダルハムホールスタッドというダーレーの牧場にいるのは知っていたので、「馬が見たいんですけど」って電話をしたんです。「日本人か。わかった、来い」って、行ったら隅々まで見せてくれて。その時シングスピールは骨折していて、ギブスをした状態で立っているところを見せてくれました。「何ていい人たちなんだろう」と思いましたね。それで、マネージャーの人に手紙を渡したんです。語学学校で習って一生懸命書いたんですけど、それを読んだとたん、態度が激変。「ちょっと事務所まで来い!」って。
赤見 え? なんで?
安藤 「お前、馬を見に来たんじゃなくて働きたいのか。ここでは働けねぇよ。1回サラブレッドを触ってこないと無理だ。だから斜め前の牧場に行きな。電話してやるから」って。そうしたら「あぁ、おいで」って言ってくれて、住み込みで働くことになったんです。
赤見 「おいで」って、すごい(笑)。
安藤 でしょ(笑)。ダミスターという種馬がいたところで、きれいで小さな生産牧場でした。馬の出産に立ち会わせてもらったり、タタソールズ・ディセンバー繁殖牝馬セールで馬を曳かせてもらったり、とてもいい経験をさせてもらいました。
そうこうしているうちに、マネージャーから「お前はもう要らない」って言われたんです。「これ以上ここにいてもホースマンとして成長しないから、競馬学校に行け。もう全部手配してあるから」って車で連れて行かれて、学校で降ろされました。
赤見 なんだか、ヒッチハイクの旅みたい(笑)。
▲赤見「いろんなところに行くことになって、ヒッチハイクの旅みたい」
安藤 そうそう。まさにそうなんです(笑)。競馬学校は、期間がたったの3か月でした。エリザベス女王に会ったときの馬小屋の見せ方という授業もあったんですよ。王室の方が来たときは、馬小屋に敷くのはわら。そのわらできれいに台を作って、その上にブラシとか、たてがみを結ったりするタオルとかを置いて、馬は斜め45度で見せるんです。
赤見 そんな授業も。さすがイギリスですね。3か月学校に通って、その後に働く厩舎というのは?
安藤 最初に学校から言われた候補が、スノーフェアリーという馬の調教師さん、エディー・ダンロップのところだったんです。でも僕は、フランキーが所属していたジョン・ゴスデン厩舎に行きたかった。そこにはシェイク・モハメドの馬がいて、ダルハムホールスタッドの馬は全部そこに来るんです。
「僕はジョン・ゴスデン厩舎に行くんだ」と言ったら、「あそこは多分ダメだと思う。電話だけはしてみるけど、ダメなら違う厩舎に行きなさい」って。そうしたらジョンが「いいよ、おいで」って言ってくれて。
赤見 願いが通じたんですね。
安藤 シェイク・モハメドの勝負服、シングスピールの勝負服を扱えるのがうれしくてうれしくて。しかも、フランキーが追い切りに乗りに来るし。また、スタッフの方もみんないい人で。厩舎に行った初日に、僕のニックネームが『ハッピー』になったんです。
厩舎に、誰がどの馬に乗るってライダーの名前が書いてあるんですけど、僕の名前がどこにもなかったんです。困っている僕に気がついて、195cmもある大柄なジョンが太い声で「どうした?」って声を掛けてくれて。「僕の名前がない。どうしたらいいかわからないんだ」「あるよ。これだよ」って。
「HIROSHI」のHの後がぐちゃぐちゃなんですね。厩舎長に「お前の名前は面倒くさい。俺らにはわからないよ。お前はいつも笑顔でいるから『ハッピー』でいいか」って。そこからハッピーって呼ばれるようになりました。
赤見 いいニックネームですね。
安藤 はい。すごく気に入っていました。それで働くようになって、僕が担当した馬が勝つんです。タクティフルリマークという馬で、ゲイリー・スティーヴンスが乗ったんです。それが僕の初競馬だったので、パドックで馬を曳くのもドキドキ。ゲイリーが「お前は日本人か?」、「イエス、イエス」「お前は天使みたいだな。大丈夫! I win for you!」って。
赤見 かっこいい〜!!
安藤 でしょ。でも実は僕、ゲイリーがすごいジョッキーだなんて知らなくて。「誰だろう? かっこいいおじさんだなぁ」って思っていました(笑)。そうしたら、7馬身差のぶっちぎりで勝ったんです。戻ってきたゲイリーがGIを勝ったように喜んでくれて、「キッズ、よかっただろ」「よかった! すごくよかったよ! ありがとう!」って。
その後、今度はグッドウッド競馬場のグロリアス・ミーティングという時に、初めてシェイク・モハメドに会って。その時は憧れのフランキーが僕の馬に乗ったんです。フランキーもいい人で、パドックで「お前日本人だろ」「そうそう」「こんなところに来られてよかったな」って言ってくれて。
そんな風に接してくれるフランキーって、すごいですよね。今こうして通訳になって、担当しているマリオ(エスポジート騎手)も、フランキーが大好きなんです。すごく仲がいいんですね。そんなつながりも運命かもしれないなって。ゲイリーには申し訳ないんですけど(笑)。
赤見 7馬身もぶっちぎってくれたのに(笑)。
安藤 でもね、マリオは18歳の時に、アメリカのサンタニタに6か月行っていたらしいんですけど、その時にずっと話しかけてくれたのがゲイリーだったそうです。だから、彼の中のスーパーアイドルはゲイリー。2人でその話で盛り上がりました。(次週へつづく)
▲エスポジート騎手と安藤さん、大好きなジョッキーが同じという縁
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