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【特別企画】日本中に馬のいる風景を―引退馬協会の取り組み/引退馬の現状と未来(1)

  • 2014年09月09日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲3週に渡ってお届けする特別企画。初回は引退馬協会・沼田代表を直撃します


引退馬の里親制度を作りたい


 現在サラブレッドの生産頭数は、年間約7000頭と言われている。競走馬を引退した後は、一部が種牡馬や繁殖牝馬となり、その他は乗馬という名目で競走馬登録を抹消される。しかし、乗馬というのはあくまで名目上であり、本当の意味での乗馬となれるのは、ほんの一握り。その他の馬たちは、肥育場に送られて屠殺される運命にある。

 種牡馬や繁殖牝馬の場合も安泰ではなく、人間に利益をもたらさなくなった馬は廃用となって、屠殺の路を辿る馬も少なくない。競走馬として、種牡馬として、繁殖牝馬として、乗馬として人のために働き続け、利益を生み出さない存在になった途端に、経済動物の名のもとに闇に葬っていく。これが現実なのだ。

 この現実を少しずつでも良い方向に、馬たちが安らかに暮らせる道を…その考えのもとに、活動しているのが認定NPO法人『引退馬協会』だ。

 前身である「イグレット軽種馬フォスターペアレントの会」の設立が1997年。この会では引退した競走馬の里親制度である「フォスターペアレント制度」を導入し、1頭の馬をたくさんの人で支えてきた。2005年には引退馬の繋養を対外支援の形でサポートする「引退馬ネット」の活動を開始。2011年に「特定非営利活動法人(NPO法人)引退馬協会」を設立し、東日本大震災被災馬支援活動も行ってきた。認定NPO法人となったのは、2013年。認定NPO法人の団体に寄付をすると、税金控除の対象となるいうことだ。

 引退馬協会代表の沼田恭子さんは、お父様がトウショウ牧場の初代の場長であり、趣味で乗馬を楽しみ、結婚してからは競走馬の生産や育成、乗馬クラブの運営などに関わってきた。しかし当初は、引退した競走馬や乗用馬の余生とその現実について、ほとんど知らずにいたというが、1995年にご主人を病気で亡くし、乗馬クラブを引き継いでからはじめて、馬を経済動物として割り切ることへの葛藤が生じ、壁にぶつかった。

「馬それぞれに性格や癖が違って、好きなもの、嫌いなものがあったりなど、毎日見ているといろいろとわかってきますよね。それまでは全体の中の1頭だったのが、1頭ずつが浮き彫りになって見えてくるんです。そうなってくると、例えば競走馬としてはもう可能性がないからとすぐに排除するという感覚に、段々ついていけなくなってくるんですよ。

ウチにいる馬たちと同じで、競馬場で走っている1頭1頭に個性があるのだし、付き合っていくうちにいろいろなやり取りができるのだろうなと考えると、競走馬として、あるいは乗馬として駄目だからと、いつの間にかどこかに消えていってしまうということに、抵抗を感じるようになったんですよね」(沼田さん)

第二のストーリー

▲「馬がいつの間にか消えてしまうことに抵抗を感じるようになった」


 乗馬クラブの経営者となってわかった事実、そして馬を通して抱いたその感覚が、イグレット軽種馬フォスターペアレントの会設立のきっかけにもなったのであろうし、引退した馬たちの余生に情熱を注ぎ続ける原動力ともなっていると想像する。

「競馬好きの知り合いに、引退馬の里親制度を作ろうと考えているのだけどどう思うかを聞いてみたんですよ。すると馬にお金を出すというのは、勝つかもしれない、賞金が入るかもしれないという気持ちがあるからであって、走らない馬にはお金を出さないのではないかという声が多かったです。

やっぱりダメかなあと思ったのですけど、当時、インターネットが普及し始めの頃でしたから、ネットでアンケートを取ったんですよね。ネットを使う競馬ファンはわりと多くて、是非そのような制度を作ってくださいという人が、確か40、50人はいました。想像以上に反応が良くて、待っている人もいるのだなあと。その頃は、引退馬の余生について活動している所はあまりなかったですしね」(沼田さん)

馬がより身近になったことでの変化


 フォスターペアレント制度を待つファンの声に勇気づけられ、一歩踏み出してはみたものの、どのような馬をフォスターホースにするべきかがわからず、悩んでいた。「ウチの会員にもなって下さったネットをされている方が、渡辺牧場にグラールストーンという馬がいて、行き場がなくて困っているらしいですよと知らせてくれました」(沼田さん)。これが運命の出会いとなった。

「行き場がない馬を生かそうとしている人がいる馬というところに惹かれて、渡辺牧場さんに連絡を取りました。渡辺さんは、種牡馬を引退したナイスダンサーのために募金活動などをされていたりして、いろいろなことを教えてもらいました」(沼田さん)

 渡辺牧場はあのナイスネイチャの生産牧場であり、ナイスダンサーはナイスネイチャの父であった。そしてグラールストーン(父ノーリュート)は、ナイスネイチャの半弟にあたリ、競走馬としても準オープンクラスまで出世して、JRAでは通算5勝を挙げている。

「グラールストーンは、競走馬として活躍したにもかかわらず、とても大人しくて穏やかで、乗馬として調教をする前から何をしても怒らない馬だったのですよ。会を設立してみると本当に様々な人が来るわけですけど、その方たちに対してもグラールストーンは、本当に良い広報部長でしたね」(沼田さん)

 引退後は行き場を失う競走馬の現状を知って、行動を起こしたいけどどうしたら良いかわからない、何もできないからまず入会してみようという人が多かった。そのようなファンにとって馬は、競馬場の柵の向こうにいる存在だった。「最初の頃は、皆、馬に乗ったら叫ぶみたいな(笑)、『乗ったぞー!』という感じで(笑)。乗ってみて騎手の気持ちがよくわかったと言う人がいたりしました。それだけ馬は身近ではなかったのでしょうね」(沼田さん)

 引退馬協会では、イグレット軽種馬フォスターペアレントの会当時からふれあいイベントを開催しているが、年月を重ねるにつれて、柵の向こうの存在から温かい体温を感じられる存在に変わってきた。「2か月に1回のふれあいですけど、皆さん馬との付き合い方にも慣れてきて、乗っても緊張することもなくなりましたし、乗った後のお手入れをしたり、馬を引いて歩いたりすることもできるようになりました」(沼田さん)。

 変化があったのは、馬への接し方だけではない。「引退馬協会がフォローするというのが前提にありますけれど、皆さん、ご自分が引き取りたいと思った馬の関係者と信頼関係を作って、スムーズに引き取りができるようになったり、牧場との付き合いをうまくされたりなど、それぞれの方がいろいろ考えながら自分なりの方法を実践されています。ファンの方が引退した馬を持つということが、できるようになってきた、これはすごいことですよね。会設立当初から大きく変わった部分だと思います」(沼田さん)

命を救う“ハッピーライフカバー”


 引退馬協会は、フォスターホース制度とは別に、引退馬の繋養をサポートする対外支援事業の「引退馬ネット」という仕組みを2005年に作った。引退馬ネットでは、これまでフォスターペアレント制度の運営のノウハウを生かして、馬を引き取る人、預ける人、預かる人を多方面からサポートしている。サポート内容としては、引退 競走馬の引き取りと預託に関する相談全般や、里親制度の立ち上げやその運営支援等があり、フジヤマケンザンら何頭もの馬たちがサポートホースとなっている。

 また引退した競走馬たちのための「再就職支援プログラム(旧称・フォローアッププログラム)」が2011年から開始され、その馬に適した場所に譲渡することを目標に、人と穏やかに暮らすために3〜4か月を目安に馴致調教を行っており、これまで5頭の馬が再就職を果たして、現在6頭目のボナンザタービンが調教中だ。

 長年に渡って様々な取り組みを行っている引退馬協会だが、これからもっと活用していきたいと考えているのが「ハッピーライフカバー」だ。これは馬がどこに行くのにも必ず携帯している「馬の検査、注射、薬浴、投薬証明手帳」(通称・健康手帳)のカバーとして、引退馬協会が作製したものだ。カバーの裏面には「この馬を大切に思っている人がいます。万一、飼養する道がなくなった場合はご連絡ください」というメッセージとともに、引退馬協会の連絡先が記載されている。

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▲ハッピーライフカバー、一般馬用と被災馬用の2種類がある


「今現役の競走馬を応援していて、その馬の余生を引き受けたいというファンの方もいますよね。でも抹消されるとどこに行ってしまうかわからないですから、現役のうちに調教師さんに頼んでこのカバーをしてもらって、行き場がない時には引退馬協会に連絡をいただくようにしたいなと思っているんですけどね。皆さん、ものすごく苦労して馬の行方を追って、肥育場まで捜しに行ったりするケースをありますしね。調教師さんもこのカバーがあれば、引退後も行き先がある馬ということで喜んでくださるかもしれないですし、引き取りたい側も、ある意味将来は自分が面倒を見ると確定しているようなものですから、引退後に過ごす乗馬クラブや牧場を探したり、調教師さんから電話がかかってきた時にすぐに運べるようにという準備ができますから」(沼田さん)

 残念ながら健康手帳にハッピーライフカバーをつけている馬はまだ少ないが、調教師や馬主、乗馬クラブ等の理解が進み、1頭でも多くの馬にこのカバーをすることができれば、行方不明にならずに第二の馬生を過ごせる馬が出てくるだろう。沼田さんは、このハッピーライフカバーがもっと普及して活用されるよう、現在も方法を模索している。

引退馬を扱う団体の横のつながりも強化


 JRAも関連する公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルを通じて、一定の条件を満たした引退馬に助成金を出す制度を作って、引退馬問題に取り組んでいる。その条件というのは、14歳以上の競走馬や繁殖馬、乗馬を引退した馬というものだ。中央競馬の重賞勝ち馬に月2万円、地方競馬のダートグレード競走勝ち馬に月1万円が支給されている。以前は中央競馬重賞勝ち馬が月3万円、地方競馬ダートグレード競走勝ち馬には月2万円で、14歳以上という年齢制限もなかったが、2012年度から1万円ずつ減額され、年齢制限も設けられるなど、活躍をした引退馬を取り巻く状況は厳しくなってきている。

 そのような現状の中、この6月に引退馬を繋養している11の団体や牧場が集まり、1頭でも多くの引退馬を安心、安定して飼養するために連携をし、情報を共有するという趣旨のもと「引退馬連絡会」が設立された。発起人は、北海道新ひだか町のローリングエッグスクラブと、引退馬協会である。

「何年も前から横のつながりがあったら良いなとは思っていたのですけど、なかなか実現しなかったんですよ。今回、ローリングエッグスクラブさんが声をかけてくださったところから始まったのですけどね。去年から何度も北海道に打ち合わせに行って、今年6月に発足しました。まだスタートしたばかりですけど、一番しなければならないのが、情報交換だと考えています。高齢馬の飼育の仕方などあまり情報がないですし、馬を預かることについての情報も少ないですね。

この間も連絡会に入っている方から、どのような契約書を作っているのかを質問されました。契約書を交わさずに預かっている所も結構あるのですが、馬が病気になったり、突然亡くなってしまったりと、それがトラブルにつながるケースもありますし、お金の面もはっきりさせておいた方が良いです。例えば薬塗るだけの治療ならお金はかからないですけど、獣医を呼んだらお金がかかりますよなどですね」(沼田さん)

 スタートしたばかりの「引退馬連絡会」だが、引退馬を取り巻く現状をより良いものにしていくために、その果たす役割は大きいのではないだろうか。

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▲「高齢馬の飼育や馬の預かり方など情報交換が大事」


日本中に馬のいる風景を


 フォスターペアレントの会の第一号のフォスターホースだったグラールストーンは、もうこの世にはいない。「NPO法人の認可が下りたのが2011年の2月7日の午前中で、グラールが亡くなったのが2月5日。それでグラールの遺体が運ばれていったのが2月7日の午後だったんです。NPO法人引退馬協会として新たにスタートするのをグラールは見届けてくれたのだなと、私自身、とても驚きました。グラールは私たちをいつも見守ってくれる、そういう馬なのだと思いますね」(沼田さん)

 NPO法人の認可が下りた直後に起きた東日本大震災で被災した馬の救済活動に関わり、前述した再就職支援プログラム、ハッピーライフカバーなど、引退馬協会はますます活動の幅を広げている。

 最後に沼田さんが語ってくれた話が心に残った。

「引退馬協会のコンセプトの1つに、日本中に馬のいる風景を作ろうというのがあります。競馬が好きな人だけではなくて、馬が好きな人や子供たちがやって来て、馬を眺めて癒されたり、触ったりできる場所があちらこちらに増えていけば、馬も生きる場所も増えていきますし、お役にも立てると思うんですよ。現在、日本には8万頭くらいいるらしいですけど、戦前は150万頭ほどいたと聞いています。それを考えると、日本にもまだ許容量はあるのではないか、馬が生きるスペースをもっと作れるのではないかと思ったのですよね。そう考えると、どんどん競走馬は引退するし、馬の行き場はなくてお先真っ暗という感覚にならずに、もっと馬が就職できる先を探したり作ったりできるのではないかなと。そうすれば、人の気持ちも変わっていくでしょうし、競馬というところから離れて馬とのコミュニケーションが増えてきて、馬が世の中に役立つ場面も多くなると思うのですよ」

第二のストーリー

 馬がいる風景を想像してみるだけで、優しい気持ちになった。馬にはイルカにも似た癒しの力があるとも聞く。日本全国に馬がいる風景が点在するようになれば、人はもっと穏やかになれるのかもしれない。そしてより多くの馬が、天寿を全うできるようになるだろう。馬と人の明るい未来のために、引退馬協会は今日も活動を続けている。(次週は、前述の渡辺牧場の取り組みをご紹介します)

(取材・文:佐々木祥恵)

■引退馬連絡会加盟団体(50音順)
・NPO法人あしずりダディ―牧場 命の会(高知県)
・荒木牧場(北海道)
・いななき会(東京都)
・NPO法人引退馬協会(千葉県)
・うらかわ優駿ビレッジAERU(北海道)
・吉備ひだまり牧場(岡山県)
・ときがわHORSE CARE GARDEN(埼玉県)
・NPO法人ホーストラスト(鹿児島県)
・NPO法人ホーストラスト北海道(北海道)
・Rolling Eggs Club(北海道)
・(有)渡辺牧場(北海道)

■認定NPO法人引退馬協会
本部事務局
〒287-0025 千葉県香取市本矢作225-1
電話 0478-59-0008 FAX 0478-59-1375
E-mail info@rha.or.jp(ご相談等)
http://rha.or.jp/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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