▲有力馬が重なった2003年の牡馬クラシック戦線を振り返って
あのときの選択は間違っていなかったと
2002年の暮れには、ピースオブワールド(阪神ジュベナイルF)とエイシンチャンプ(朝日杯フューチュリティS)で、2週連続GIを勝つことができた。
エイシンチャンプは8番人気で、「よく勝ったなぁ」というのが正直な気持ちだったが、かたやピースオブワールドは、自分にとって初めての経験となった単勝1倍台のGI1番人気(単勝1.5倍)で、ものすごく緊張したのを覚えている。その緊張感たるや、キングヘイローのダービー以来といってもいいほどで、当時は昼くらいからドキドキが止まらなかった。
結果、馬の力で勝つことができたが、自分としては全然満足のいく騎乗ではなかった。前からでも後ろからでも競馬ができる本当に強い馬で、牝馬クラシックはこの馬で堅いと思っていた矢先、2月の調教中に骨折。オークスには何とか間に合ったけれど、それ以降、かつての強さが戻ることはなく、4歳春の中山牝馬S12着を最後に引退することになった。
▲単勝1.5倍の断然人気に応えたピースオブワールド
阪神ジュベナイルFは勝てたけれど、馬の力からすれば勝って当然のレース。だから、キングヘイローをはじめ、坂口先生から受けた数々の恩を、あの一戦で返せたとは今でも思っていない。
2003年の牡馬クラシック戦線では、自分がエイシンチャンプに乗るのか、ネオユニヴァースに乗るのかという選択が、一時話題になった。エイシンチャンプで勝った朝日杯の1カ月くらい前に、新馬を勝ったのがネオユニヴァース。2頭とも瀬戸口厩舎の管理馬で、年明けはエイシンチャンプが弥生賞を勝ち、ネオユニヴァースはきさらぎ賞を勝った。どちらも自分の手綱だったから、マスコミやファンの興味を引いたのもうなずける。
ただ、この選択、