
▲ジャスタウェイで挑んだ凱旋門賞と、エピファネイアで挑む天皇賞(秋)を語る
同路線のエピファネイアとジャスタウェイ
日本馬3頭が出走し、大きな注目を集めた今年の凱旋門賞。自分が騎乗したジャスタウェイは、最後までジリジリと伸びてはくれたものの、期待に応えるだけの走りを見せることができなかった。
敗因は、距離なのか、久々によるレース勘の鈍りなのか──正直、はっきりとコレだと言い切れるものは何ひとつない。ただ、自分が知っているジャスタウェイの走りとは、明らかに違っていたのは確かだ。おそらくこれは、乗った人間にしかわからないことなので、自分が感じたあの日のジャスタウェイを、ここで言葉にしてみたいと思う。
返し馬から受けた感触は、安田記念以来の休み明けだったにもかかわらず、今までで一番といえるほどのものだった。もともと勝てるだけの力はあると思っていたし、コンディションの良さも伝わってきたので、自分もほどよい緊張とワクワク感を持ってレースに臨むことができた。
ここでも書いたが、スタートが良ければ前で競馬をしようと思っていたし、須貝さんともそういう話をしていた。レースを観た人ならわかると思うが、実際、ゲートで長い時間待たされたにもかかわらず、スタートはポンと出てくれた。では、なぜもっと前に行けなかったのか。馬が二歩目で戸惑って、減速したのだ。
確かに馬場は重くなかったけれど、日本ほど整備された馬場ではない。以前にも書いたが、小さな“うねり”が終始続いているような感じだ。やはり、調教や返し馬と、実際のレースは違うし、ただでさえ二歩目は慎重になる。あくまでジョッキーの感覚だが、そこで馬が“あれっ?”となって、戸惑ったような気がしたのだ。ゴールドシップとハープスターも、同じようにゲートを出て、同じように置かれてしまったけれど、その理由は自分にはわからない。ただ、少なくともジャスタウェイは、二歩目で明らかに躊躇した。
もちろん、そういう馬場だということはわかっていたわけだから、躊躇するのをあらかじめ見越して、自分がもっと出していけば良かったのかもしれない。ただ、それはあくまで結果論。そこを想定できなかったのは、ひとえに自分の経験不足だと思っている。

▲ジャスタウェイは8着「ひとえに自分の経験不足だと」
ただ、道中のジャスタウェイは、馬場を気にすることなくスムーズに走っていた。事前に馬場を歩いたのだが、内から2、3列目あたりが一番締まっていたので、できるならそこを通りたいと思っていた。実際、コース取りはそれほど外れていなかったが、