▲キングカメハメハ、ラインクラフト、シーザリオ…名馬たちとの日々を振り返る
「ヨーロッパに行ってもやれたんちゃうかな」
2005年の競馬界の話題といえば、ディープインパクト。ナリタブライアン以来となる3冠馬の誕生は、その勝ちっぷりも相まって、社会を巻き込んでの盛り上がりを見せた。自分にとっても華やかな時代で、その年に挙げた重賞16勝、GI5勝は、いまだに年間自己最多勝利数だ。
前年の2004年には、オークスをダイワエルシエーロで、高松宮記念をサニングデールで勝ち、10月にはラインクラフトが、12月にはシーザリオがデビュー。こういった新たな出会いが2005年へとつながっていくわけだが、そんななかでも2004年の忘れられない1頭といえば、毎日杯(1着)で騎乗したキングカメハメハだ。
今思い出しても、本当に乗りやすい馬だった。スタートもいいし、どこからでも競馬ができる万能型。ひとつの能力が突出しているというより、すべての平均点が高い馬だったように思う。今、走っている産駒にしても、短距離、長距離、芝、ダートと、いろんなタイプの産駒が出ていて、なかにはオールマイティな産駒もいる。そのあたり、キンカメ自身が持つ万能性の賜だろう。ともあれ、あのときのキンカメの背中を味わえたのは、自分にとって大きな財産だ。
▲一度だけキンカメに騎乗した毎日杯、騎手心を駆り立てる能力を感じて
毎日杯後は、NHKマイルCに駒を進めることが決まっていて、自分への依頼はあくまで単発だった。でも、安藤(勝己)さんがもう1頭と迷っているという話になり、もし安藤さんが乗れなかったら、自分が引き続き騎乗することが決定していた。自分としては、もちろん乗りたい。だから、心のなかで密かに「安藤さん、断って…」と思っていたのだが、ご存知の通り、安藤さんはキンカメを選んだ。
そういえば、ついこの前、「キングカメハメハなら、ヨーロッパに行ってもやれたんちゃうかな」と、安藤さんが話しているのを何かで聞いた。万能型で、多少のことには動じないあの精神力は、確かに海外でも大きな武器になったのではないかと思う。
同じような意味で、牝馬同士なら海外のどこに行っても負けないだろう──そう思わせてくれたのがシーザリオだ。2005年の牝馬路線にはラインクラフトもいたが、絶対的な能力値は、シーザリオのほうが上だと感じていた。年明けは、ラインクラフトがフィリーズレビューへ、シーザリオがフラワーCへ。どちらも自分が乗って勝ったわけだが、桜花賞ではラインクラフトを選択し、1番人気に応えて勝つことができた。シーザリオは2着で、手綱を取ったのは吉田稔さん。オークスで自分に戻しやすいようにという角居さんの配慮だった。
ちなみに、シーザリオに騎乗することになったきっかけは、角居厩舎の忘年会。参加していたジョッキーが一言ずつ挨拶をすることになり、当時、角居厩舎の馬にはあまり乗っていなかった自分は、「機会をいただければ、ぜひ貢献したいです」と言って、ペコリと頭を下げた。その直後に、シーザリオのデビュー戦の騎乗依頼がきたのだ。
今では非常に濃いお付き合いをさせていただいている角居厩舎だが、思えばシーザリオがきっかけ。自分の騎手人生を変えた馬といっても過言ではない。
桜花賞後、ラインクラフトはNHKマイルCへ、シーザリオは予定通りオークスへ。NHKマイルCのときのラインクラフトは完璧な状態で、牡馬が相手とはいえ、負けようがないというほどの自信を持って臨んだ一戦だった。当時は今以上に、桜花賞馬がオークスへ向かうのは当たり前の時代。そんななか、瀬戸口先生は馬の適性を優先したと同時に、シーザリオと被ってしまう自分の状況も考慮してくれたんだと思う。そういう背景を思うと、改めてあのNHKマイルCは勝たなければいけなかった一戦であり、結果を出せて本当に良かったと思っている。
NHKマイルCで完勝を収めた一方で、シーザリオで臨んだオークスは、とても厳しいレースを強いられた。スタート直後に豊さんに蓋をされ(2番人気エアメサイア)、ポジショニングが悪くなったが、直線まで我慢するしかない展開だった。ちなみに、あのときの豊さんの騎乗は、本命馬に対する当然の措置。人気馬同志の駆け引きであり、それが競馬だ。
結果、クビ差でエアメサイアをとらえることができたが、あのレースほど、馬に勝たせてもらったレースはないと今でも思っている。よく安藤さんが、「本当に強い馬は、ジョッキーがどんなに下手に乗っても勝つ」と話していたけれど、まさにシーザリオという馬がそうだった。
▲「あのオークスほど、馬に勝たせてもらったレースはない」
その後、アメリカンオークスでスムーズな競馬をしたら、案の定、外を回りながらも4馬身のぶっちぎり。もともと勝てるだろうとは思っていたが、この馬で普通の競馬さえできればどういう結果になるか。それがよくわかった一戦だった。
しかし、そのアメリカンオークスのあと、繋靱帯炎を発症して引退。引退を聞かされたときは、残念で残念で仕方がなかった。自分があんなにぶっちぎらなければ……ついつい、そんな“たられば”が頭をかすめたりしたものだ。アメリカンオークスでも、負ける気がしなかったシーザリオ。さっきも書いたが、あの馬なら海外でもっともっと活躍できたと思う。本当に強い牝馬だった。(文中敬称略、つづく)
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