▲マルカシェンクに感じた能力と、骨折の悔しさ
出会った時点でネオユニヴァースを超えた
前回(
祐一History vol.18)でシーザリオまでを振り返ったが、自分にとってあの頃は、本当に華やかな時代だった。2005年は重賞勝利数も最多なら、年間勝利数でも初めて100勝の大台に到達した年(109勝・JRAのみ)。「よし、ここからリーディング争いに参加していくぞ」。そんな気持ちで2005年を終えたように思う。
その頃には、結果を出していたことで先輩たちから笑われることもなくなっていたし、デビュー当時にあれだけ感じていたコンプレックスも、いつしか薄れつつあった。仕事もプライベートも順風満帆。2005年、つまり20代最後の年は、改めて思い返すと楽しかった記憶しか浮かんでこない。さらにここから上昇気流に乗っていけるはず──漠然とそんなふうに思っていた。
結果論だが、こうして振り返って思うのは、2005年は挫折感を味わう直前の年で、自分にとってひとつの大きな区切りの年だったということ。自分のジョッキー人生を物語になぞらえば、第2章が終わったあたりといったところだろうか。もちろん、そこまでに積み重ねてきたことも大きな財産で、それらが血となり肉となってそのときどきの自分があるわけだが、いっぽうで“馬乗りの技術を磨く”ということに関しては、まだ考えが深く及ばなかった時期でもある。
そうそう、2005年といえばもう1頭、マルカシェンクの存在を忘れてはならない。競馬ファンのあいだでは、この馬がどういう印象を持って記憶されているのかわからないが、少なくとも自分にとってのマルカシェンクは、出会った時点でネオユニヴァースを超える手応えを感じた馬だった。
2005年9月11日、阪神芝2000mの新馬戦から、デイリー杯2歳S、京都2歳Sと3連勝。デビュー前に