馬と人の交わりとはなんぞや、という想念に捉われたアドマイヤラクティの訃報
これまで体感したことがなかった悲しみという情念
アドマイヤラクティ、シゲルスダチと、思い入れの深かった馬の訃報が続き、いささか塞ぎ込んでいる。
ラクティもスダチも、言うまでも自分の馬ではなく、ファンとして一方的に肩入れしていただけだったのだが、突然旅立たれて動揺する自分を知り、馬と人の交わりとはなんぞやと、改めて考えさせられることになった。
ことにアドマイヤラクティの場合は、メルボルンCを主催するレイシングヴィクトリアの、日本馬の出走を勧誘するリクルートチームのお手伝いをさせていただいている関係で、遠征の初期の段階からサポートチームの末席……………本当に、隅っこの端っこの、あってもなくても良い席ですが……………に身を置かせていただいたこともあって、1週間以上が経過した今も、重く引きずっているものがあることを、事ある刹那に感じている。
何かあったことは間違いないと容易に想像できる競馬振りで、最下位でゴールしたアドマイヤラクティは、検量室前のマウンティングヤードと呼ばれるエリアに戻って来た時には、まだ普通に歩いていた。
ただし、仮にどこか痛いところがあったとしても、レース直後の興奮している状態では表に見せないこともある。何事もなければ良いがと祈りつつプレスルームに戻り、どれくらい時間が経った頃だったろうか。生中継をしていたチャンネル7のレポーターが、馬房に戻ったアドマイヤラクティが斃れたとコメントするのを聞いて、仰天をした。
えっ、と言ったきり絶句し、駆けつけても自分などは邪魔になるばかりと、訳の分らぬ逡巡でしばらく時を無駄に費やした後、出走馬たちが入っている待機馬房に出向くと、ラクティの馬房は既にブルーシートで囲まれ、中が見えないようになっていた。
その、悲嘆が密封された馬房から、間に2つほど空き馬房を挟んだその隣が、メルボルンCの勝者であるドイツ調教馬プロテクショニストの馬房だった。距離にすれば10mほどの隔たりに、残酷なまでにくっきりとした明暗があった。
居合わせたレイシングヴィクトリアの担当者に尋ねると、アドマイヤラクティは厩舎エリアに入った頃から足元が覚束ず、幾度か腰を落としかけた挙句、馬房に辿りついた途端に崩れ落ちたそうだ。
死因は急性の心不全だが、当日夜に検疫所のウェリビー調教場に隣接した診療所で行なわれた解剖では、血管の梗塞は全く認められず、心機能がなぜ突然停止したのかは、血液検査の結果など更なる詳細が揃わなければ断定は難しいとのことだ。
競馬場付きの獣医師は筆者に、ひょっとすると馬場を後にした辺りで、ラクティの心臓は止まっていたかもしれないと話してくれた。ファンに無様な姿を見せられない、と思ったのか、馬道で倒れては周囲に迷惑がかかると考えたのか、彼は自分に与えられた馬房まで歩き切って、精魂尽き果てたのだ。その心根を思うと、また心が痛んだ。
だが、私などより百倍も千倍も、実際の当事者の皆様の沈痛が深かったことは言うまでもない。誰のせいでもないのに、オーナー、トレーナー、厩舎スタッフ、生産牧場のノーザンファームから馳せ参じていた獣医師まで、チームの誰もがそれぞれの持ち場の中で、あの場面で自分が違った決断を下していたら、あの局面で自分が違った行動をとっていたら、ひょっとしたら事故を避けることが出来たかもしれないと、自分を責めていることがわかり、いたたまれなくなった。悲しみという情念があれほど凝り固まった空間を、筆者はこれまで体感したことがない。
競馬とは時に、人間に試練を与えることもある。そんな、当たり前の事実に今さらながらうろたえたがゆえ、馬と人の交わりとはなんぞや、という想念に捉われたのだった。
馬のおかげで幸せな死を迎えることが出来た老人のニュース
そんな時だったからこそ、奇しくも同じタイミングで英国から聞こえて来たニュースには、心をほぐされた。
ラクティが黄泉の国に旅立った11月4日、マンチェスターのウィガン病院に入院していたシーラ・マーシャさんが、77歳で天に召された。
馬と競馬が大好きで、元気だった頃はヘイドック競馬場で勤務してしたマーシャさんは、癌に侵され、余命いくばくもないと診断されていた。
家には、馬が6頭、犬が3頭、猫が3匹いて、週末には家族の計らいで、マーシャさんが一番気に入っていた犬が病室につれて来られ、お別れをする機会が作られた。
家族と犬が帰宅した後にマーシャさんは、これが自分にとって人生最後の我が儘と断った上で、介護スタッフにお願いをした。25年にわたって寝食をともにした、愛馬のブロンウェンに、ひと目で良いから会いたい、と。
11月3日、車輪付きのベッドに移されたマーシャさんは、スタッフの誘導で病院の駐車場に出向いた。そこで待っていたのは、馬運車でここまでは運ばれてきたブロンウェンだった。
マーシャさんが声にならない声で呼びかけると、ブロンウェンはベッドに歩み寄り、マーシャさんの頬に口元を持っていったそうだ。立ち会った家族や介護スタッフには、ブロンウェンがマーシャさんに、やさしくキスをしたように見えたという。
翌4日の朝、マーシャさんは安らかに最期の時を迎えた。
馬のおかげで幸せな死を迎えることが出来た老人の話題は、筆者に今一度、馬と人の交わりとはなんぞや、というテーマについて考える機会を与えてくれた。
馬に勇気づけられる人たちも、確かにいるのだ。
そうだとしたら、この文化を守り伝えていく、ほんのわずかな一助にでもなれるよう、これからも努めていきたいと、気持ちを新たにしている。