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週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

  • 2004年02月03日(火) 13時09分
 サラブレッドのショウピースが集まるセールとして知られるキーンランドのジュライ・セールが、2003年に続いて2004年も開催されないことが発表された。

 2003年、世界最高のイヤリングセールが休止に追い込まれた原因は、ひとえに、2001年春に流行した“Mare Reproductive Loss Syndrome(MRLS)”の影響だった。未だに確たる発生要因が特定されていない、原因不明の早期流産が多発。2002年春に生まれるはずだったケンタッキー産馬が、早生まれの産駒を中心に大きく数を減らすという事態が発生し、早生まれの子供たちを中心にカタログを構成するジュライが、休止に追い込まれたのである。

 だが幸いにして、1年後の2002年春のケンタッキーでMRLSは再燃せず、2003年生まれの世代は平年同様の産駒数を得たため、普通に考えれば「2004年にはジュライ再開」と言うのが、既定の路線であるはずだった。

 ところが、雲行きが大きく変わるきっかけになったのが、2003年9月に開催されたキーンランド・セプテンバーセールだった。9月8日から12日間にわたって行われた昨年のセプテンバーは、総売上げが前年比29.9%アップ、平均価格が前年比28.5%アップという盛況に終わり、殊に本来ならばジュライに上場されていたはずの選りすぐりがシフトしてきた初日・2日目のセクトセッションは、平均価格45.3%アップという、関係者ですら驚くほどの活況を見せたのである。

 そんな中、主に上場者側から出てきたのが、『ジュライ不要論』だった。

 もともと一部の関係者の間では、前年の春に生まれたサラブレッドを評価し購買するには、ジュライの開催時期である7月第2週は、「いささか早過ぎるのでは」という声があったことは確かだった。特にコンサーナー側からは、7月第2週までに子馬を躾けて仕上げるのは、タイムスケジュール的に言っていかにも時間不足で、ジュライから完全撤退してセプテンバーに売りを集中する大手コンサイナーすら出現していたほどであった。

 更に、目下のところ『最後のジュライ』となっている2002年のジュライセールは、総売り上げ、平均価格とも前年に比べて30%以上下落。総売上の4238万ドルという数字など、1978年以来という四半世紀振りの低水準に落ち込んでいたのであった。そうでなくてもジュライの改革論が噴出していたところへ持ってきて、ジュライの開催がなかった03年にセプテンバーが記録的活況に終わったことで、業界の流れは一気に「2004年もジュライ休止」に傾いていったのである。

 主催のキーンランド社では、今回の決定はあくまでも2004年の開催に関してであって、キーンランドの市場開催スケジュールからジュライが消滅してしまうわけではないと強調。2005年の開催に関しては、然るべき時期に関係者と協議した上で決定するとしているが、目下の情勢は完全に「セプテンバーを質量ともに最高のイヤリングセールに」という方向で固まりつつある。

 競馬を語る上で欠かせぬ側面である『流通』の世界で、1つの歴史が幕を閉じようとしているようだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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