▲“トウカイテイオー奇跡の復活”と言われた1993年の有馬記念
地方競馬の馬主である原田治正氏。彼はいま、「トウカイテイオーの血を残す」というプロジェクトに心血を注いでいる。多くの競馬ファンを魅了したテイオーだが、後継種牡馬が育たぬまま、昨年の8月に急死。名馬の血がつながってほしいのはファンの願いでもあるが、それを実現させていくには、現実は決して甘くない。さらに、原田氏が種牡馬入りを進めているのは、中央出走経験のない地方1勝の馬。「実績がないのでは」「この馬で大丈夫なのか」そんな声も当然聞こえてくる。それでも原田氏を突き動かすものは何なのか、サラリーマンである原田氏が身銭を切ってでも活動する真の理由とは何なのか。原田氏がその本音を語った。(取材:編集部)
進む血統の寡占化「誰かがやらなきゃ仕方ない」
―クワイトファイン(牡4・船橋・稲益貴弘厩舎)をトウカイテイオーの後継種牡馬にという活動をされているそうですが、原田さんは実際に地方競馬の馬主でもいらっしゃるんですよね?
原田 現在は川崎に、スヴァローグ(牡4・川崎・深野塁厩舎)という馬を持っています。
―馬主になるきっかけを教えていただけますか?
原田 サラリーマンでも地方の馬主になれるということを知って、なってみようかなと。一度きりの人生なので、少しだけ人と違うことをしたいという潜在意識があったのかもしれないです。
―なるほど。それが根底にあるのですね。競馬に出会ったのは?
原田 ちょうど私が大学生の頃に、いわゆる第二次競馬ブームがありました。オグリキャップが引退するあたりですね。友達に誘われたのがきっかけでしたが、割と遅い方だったと思います。その時に誘ってくれた友人はみな競馬から卒業したのに、一番後発だった私だけがここまで深くはまってしまいました。
―オグリキャップの引退レースとなった有馬記念が1990年で、その翌年にトウカイテイオーが皐月賞、ダービーに勝って2冠を達成していますね。
原田 その時にテイオーのファンだったかというと、実はそうではなかったという…。どちらかというと、ダービーで2着だったレオダーバンに肩入れしていました。
▲原田治正氏「テイオーのファンだったかというと、実はそうではなかった」
―競馬ファンから馬主になるまでの道のりを教えてください。
原田 大学を卒業して就職をしまして、地方競馬の馬主免許を取得したのが2000年です。初めて持った馬は、スリルショーの牝馬でオータムという名前でした。当時は公営の新潟競馬がまだありまして、新潟が廃止になるまでは三条、新潟で走っていました。認定競走も勝っています。
―その馬はどのようにお買いになったのですか?
原田 普通に牧場で買いました。馬券を買い始めてすぐに、オータムの冠名がついた馬の馬券を取りまして。まあそれがオータムという馬名の由来にもなっているのですけど。当時インターネットの走りでしたから、その馬の馬主さんや生産牧場を調べて馬主さんとも知り合いになり、その馬の近親がいるから買いますか? という話が出まして。血統から馬を買うという今のスタンスは、その当時からあったんですね。
―そして最近ではトウカイテイオー産駒のクワイトファインに、今は川崎のスヴァローグ。クワイトファインは、別の方の名義になっていますね?
原田 テイオーの活動がきっかけで知り合った端さんという方の名義です。所有馬の成績が今ひとつで苦しい時期がありまして、その時に他の馬を手放してクワイトファインだけ残すか悩んだんですよ。でもスヴァローグも走るのがわかっていたので、こちらも手放したくなくて。それでクワイトファインを、端さんにお願いした形になりました。
―クワイトファインを将来トウカイテイオーの後継種牡馬にするという話も、端さんにはご理解いただいているということですね?
原田 ええ。11月に発表された日刊スポーツの記事に関しても、端さんに事前に会って、こういう形でやらせてくださいというのは了解をいただいています。結構大きなことですからね。
―そもそもなぜトウカイテイオーの血を残すという活動を始められたのですか?
原田 私が競馬を始めた25年位前から、当時はノーザンダンサー系でしたけど、もう血統の偏りは始まっていたんです。私が競馬を好きになる直前は、ウィナーズサークル、アイネスフウジンと、2年連続シーホークの産駒がダービーに勝ち、その後がトウカイテイオーでした。でもその翌年あたりから、基本的にはノーザンダンサー系と、その2、3年後に来るサンデーサイレンス、ブライアンズタイムという流れですよね。私が競馬を見始めた頃には、偏りつつはあったものの、まだ血統のバランスが取れていたのですが、一気に寡占化が進みました。
―その血統の寡占化が、トウカイテイオーの血を残そうという活動につながったのですね?
原田 そうですね。それでも寡占化が進む中、トウカイテイオーは牝馬ですけどヤマニンシュクルを出していますし、牡馬の重賞勝ち馬も何頭か輩出しています。なので、いずれはどれかが後継種牡馬になるだろうと思っていたら、どの馬も種牡馬にならずに、今に至ってしまったと。そうすると、結局誰かがやらなきゃ仕方ないですよね。まさか一介のサラリーマンの自分が、テイオーの後継種牡馬をという活動に関わるとは思ってもいなかったですけど。
―それでもやることに?
原田 誰もやらないのなら、自分がやるしかないという気持ちです。本音を言えば、