中央競馬の1年を締めくくる有馬記念が近づいてきた。幸いと言うべきか、今年は空前の豪華メンバーが集まりそうだ。11月末のジャパンCもGI馬12頭(うち国内9頭)が集まったため、“反動”が心配されたが、2着ジャスタウェイ、4着ジェンティルドンナが有馬記念を引退レースに選んだため、第1回特別登録(12月14日)段階でGI勝ち馬10頭が集結。ファン投票分以外の6議席(賞金順で決定)のハードルも例年以上に上がった。
とはいえ、昨年を思い起こせば、ファン投票上位馬10頭中、実際に出てきたのはわずか2頭。オルフェーヴルが有終の美を飾ったものの、やや寂しい顔ぶれだったのは否めない。上半期のグランプリ=宝塚記念も、近年は少頭数となる例が目立ち、ファン投票の存在意義に疑念を持たれている。グランプリとファン投票を今後、どう改革すべきだろうか?
「黄金時代」は1990年代前半
有馬記念は1956年の創設。当初のレース名は「中山グランプリ」だったが、創設を主導したJRA2代目理事長・有馬頼寧氏が翌57年に急逝し、第2回から同氏の功績をたたえて名称を「有馬記念」に変更。来年、第60回の節目を迎える。ファン投票は、プロ野球の球団オーナーでもあった有馬氏の発案で、初回からずっと10頭連記の形式が続いている。そこで、ファン投票上位馬の出走状況を10年刻みで振り返ってみた。
そもそも、当初の20回は出走頭数が少なく、1〜10回の総出走頭数は107頭、11〜20回が118頭。一方、ファン投票上位勢の出走状況は、1〜10回が53頭、11〜20回が55頭。また、上位2頭が出走回避した例は、1〜20回で1位が2回、2位が5回だった。第21回以降は徐々に頭数が増え始め、特に80年代後半からはファン投票への「応答率」も上昇。31〜40回は総出走頭数が143、得票10位以内の出走も68と、質量ともに充実していった。有馬記念の「黄金時代」と言える。
ところが、90年代後半以降は、頭数こそ集まるものの、得票10位以内の出走数は61に減少。ディープインパクトの引退レースとなった第51回から昨年までの8回は、得票10位以内の出走が43にとどまった。この数字は、オルフェーヴルとゴールドシップの2頭しか出走しなかった昨年の結果を反映しており、その前の7回は41頭。1回平均6頭弱となり、さほど悪い数字とも言えなくなる。
ただ、08年には得票1位のウオッカが回避し、36年ぶりに1位馬不在の有馬記念となった。また、一昨年も凱旋門賞帰りのオルフェーヴルがジャパンC2着の後、休養に入り、直近の8回中、1位馬不在は3回に。「ファン投票無用論」もこうした状況への不満を反映する。
もう一つのグランプリ、宝塚記念はもっと厳しい。過去20年のファン投票上位10頭(延べ200頭)中、実際に出走したのは97頭で半数に満たない。出走回避も1位馬が5回、2位馬は6回に上る。宝塚記念の場合、直近の3歳クラシックで活躍した馬が投票上位に入ってくるが、ほとんどは出て来ないため、出走率を押し下げてしまう問題もあるが…。
投票した馬が出て来なければ、ファン投票の熱も冷める。98年の有馬記念、翌99年の宝塚記念からインターネット投票の導入を受けて、一時的に投票数が増加。有馬記念で25万9112、宝塚記念でも20万3869の有効投票件数を記録した。ところが、今年は宝塚記念が8万9162件で56.3%減少。有馬記念も14万3863件で44.5%落ちた。有馬記念はこれでも昨年の11万8238件から大幅に回復していて、ファンの期待感を示した。最終順位8位のエピファネイアは第2回中間発表段階では14位で、ジャパンCの圧勝で追い上げに成功した。
施行時期、コースが壁に
競馬ファンの枠を超えて、国民的に親しまれるイベントに成長した有馬記念だが、一流馬の競走として考えれば、相当な「ムチャ振り」である。12月末にこれほどのレースを組むのは、日本を除けば香港国際競走(12月2週)程度で、香港は日本に比べれば気候ははるかに暖かい。欧州の芝シーズンは11月にとっくに終了。米国も12月の東海岸やケンタッキーは寒く、大レースがあっても西海岸だ。
日本の中長距離路線の一流馬には、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念と3つのGIが用意されているが、GIともなれば一戦ごとの負荷も大きく、3戦完走のためには、それなりの「ペース配分」も必要だ。天皇賞が「ジャパンCの前哨戦になってしまった」との声を聞くのには、こうした背景がある。2戦した後の疲労が大きければ、有馬記念を避ける陣営が出てくるのもある程度は仕方ない。
また、トップレベルの競走馬の層がそれなりに厚くなり、勝つためには得意のコースに特化する必要も出てきた。ウオッカが