2015年2月5日、突然わたしたちに別れを告げたステイゴールド。競走馬として、そして父としても――原石が磨かれるように、少しずつ輝きを増していったその蹄跡を、当時の関係者の声を中心に振り返っていく。
関係者の追悼コメント
■池江泰郎元調教師『ステイゴールドと一緒に過ごせたのはいい思い出……胸がつまります』 亡くなったのは5日の夜、電話で知らされました。5日は今シーズン初の種付けだったそうですね。十分に体のチェックをしてから仕事をしたと聞いています。しかし、お役目を終えたあと、1時間後に急に発汗して。ちょっとおかしいな、ということで直ぐに社台のクリニックに連れていったけれども、苦しんでいる原因がわからない。でも、やがて弱っていき、息を引き取ったそうです。翌6日の昼ごろ、解剖の結果(大動脈出血)を聞きました。ジワジワと弱っていくんだろうからね…、きっと苦しかったと思うよ。
この病気は競馬場ではあまり聞かないけれど、加齢とともに起きやすくなるそうですよ。血管が脆くなっていくんだろうね。若くて健康といっても21歳だったからね。そういうこともあるのでしょう。
ステイゴールドに最後に会ったのは昨年の種付けシーズンでした。体も若々しいし、お役目も順調にこなしていた。種馬場の方々と「来年は21歳だけど、この調子ならあと数年はいけそうですね」と話していたんです。だから、まさか突然こんなことになるとは…ショックでした。
わたしの管理馬の中でもやんちゃな面があった馬だったからね。こちらの思うようにいかない、一心同体になるのが難しい馬でしたね。
いちばん印象に残ったレースは初重賞勝ちの目黒記念。ずっと2着、3着ばかりで重賞を勝ちきれなかったから、この馬が走っていない他の競馬場でも多くのファンの皆さんに喜んでいただけました。
とても負けん気の強い馬でね、レースで隣の馬のジョッキーの脚に噛み付いたこともある。検量室にあがってきて「初めてだよ、馬にレース中に噛まれたのは」と言われました(苦笑)。
メジロマックイーンは優等生で、こちらが思ったとおりの調教をすれば、想定どおりの結果を出してくれた。それに対して、ステイゴールドはこちらが「いけるかな」と思ったときの競馬はさっぱり。逆に「あまりよくないかも」と送り出したときに限って結果を出した。実につかみどころのない馬でした。でも、この2頭の配合から生まれた数少ない産駒が、とても素晴らしい成績をあげている。相性が合うんやなぁ(笑)。
通算50戦のうち、重賞には38回も参戦。これだけ重賞を走ってきた馬も珍しいと思うよ。通算7勝と勝ち星が少ないのは、勝ちきれなかったこともあるけれど、準オープンの身でダイヤモンドSに挑戦して2着。そのあと、ずっと重賞を走ったので準オープン勝ちがなかったのも理由のひとつなんですよ。
ジャパンCは4回、有馬記念は3回走った。つまり、それだけトップクラスの馬たちと戦ってきたということ。ステイゴールドと巡り合えて、一緒に過ごせたというのはいい思い出……胸がつまります。 (取材:花岡貴子)
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■山元重治元厩務員『オルフェーヴルを見てると、仕草なんかは重なるところがありますね』 本当に長い時間、何年もずっと一緒に過ごしてきた馬ですからね。さみしい気持ちでいっぱいだし、残念でならないです。苦労はいっぱいあったけど、その分、喜びもたくさん与えてくれました。思い入れは当然ありますし、自分はもう競馬界から離れていますが、ステイゴールドの子供たちはずっと応援しています。
(産駒の)オルフェーヴルを見てると、仕草なんかは重なるところがありますね。凱旋門賞でも、勝てる競馬で最後にああいう形でヨレて。もうちょっとで世界一になれたのに、ああやってまっすぐ走らないあたりも「やっぱりステイゴールドの仔だな」って思いますよね。
産駒がいっぱいGIを勝っているし、サンデーサイレンスの後継種牡馬のなかでも、あそこまでの多くのGI馬を出せた馬は少ないですし、そういう意味でも立派な種牡馬になったなぁって喜びもありました。
まだまだ種牡馬として時間はあったし、種牡馬としての価値もさらに上がってきていましたからね。これからもまだまだいい仔が出てくると楽しみにしていましたけど…。こればっかりはどうすることもできません。ただただ、残念としか言いようがありません。 (取材:馬サブロー 安里真一)
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■熊沢重文騎手『何回も泣かされただけに、思い入れもすごくあります』 訃報を聞いて驚きました。種牡馬としてもまだまだ若かったですし、残念でなりません。
デビューの頃から長いことコンビを組ませてもらって、自分では大きいところを勝たせてやれなかったのは残念ですが、あの気の強いところに何回も泣かされてきた馬で、それだけに思い入れもすごくあります。
当時、こんなこともありました。調教にもよく乗せてもらっていたんです。厩舎から坂路に向かう時に逍遥馬道を通るんですが、その道中で、多い時には3回落とされたこともありました。
立ち上がったりも、よくしてましたね。普通の馬なら立ち上がるだけで終わりですけど、ステイゴールドは立ち上がって、そのまま10歩くらい歩いちゃうんですよ。それでもひっくり返ることがなかった。当時から本当に身体能力が高かったですね。
オルフェーヴルを見ていても、あの気の強いところがそのまま出てますよね。でも、走る馬って単にうるさいだけじゃない。悪さはしても、手を付けられないくらいにはならなくて、上手くおさまる賢さも持ってる。ステイゴールドはそういうふうになっていったし、オルフェーヴルも同じように成長していったように思えます。そういうところも血統なのかなって思いますね。
小柄な馬で、気持ちの強さもあったから、レース後の回復がとにかく早かった。疲れという疲れを感じたことがないですね。たくさんの思い出のある馬。あんな個性的な馬、なかなかいないですよね。ゆっくり休んでほしいです。 (取材:馬サブロー 安里真一)
写真で振り返る競走馬時代
■新馬戦(1996/12/01、阪神5R)長い旅路の始まりは、ペリエ騎手を鞍上に0秒1差の3着
■4歳未勝利戦(1997/05/11、東京4R)