
▲4度目の出走でドバイWCを制したプリンスビショップ。今シーズンはメイダンの新ダートで好走していた
アメリカ的ダート馬場は、どこの馬に有利か
今年で20回目の節目を迎えたドバイワールドCミーティングは、その時々でさまざまに形を変えながら発展してきた。
当初、国際招待レースとして行われたのは、ドバイワールドCと、そのアンダーカードとして同じダート2000mで争われたドバイデューティフリーの2レースのみだったものが、さまざまな条件のレースが徐々に追加され、現在では純血アラブのレースも含めて全9レースとなっている。
コースの状態もわずか20年の間にさまざまに形を変えた。第1回ドバイワールドCが行われたナドアルシバ競馬場のダートコースは、砂にオイルを混ぜた“オイルサンド”と呼ばれるもの。第3回からはアメリカと同じような質のダートに変わった。また開始当初は影も形もなかった芝コースがダートの内側につくられ、芝のレースも短距離から長距離まで行われるようになった。
もっとも大きな変化は2010年。ナドアルシバ競馬場が、超豪華施設を誇るメイダン競馬場としてリニューアルされたことだろう。このとき外側のメイントラックが芝コースになり、内側のコースはダートではなくオールウェザー(タペタ)が採用された。
賞金額でも、第1回は400万ドルだったドバイワールドCの総賞金が徐々に増額され、メイダン競馬場となった2010年には1000万ドルとなった。
そして今年の大きな変化は、各方面から酷評が聞かれるようになっていたオールウェザーコースがアメリカ的なダートコースに変更されたこと。ナドアルシバ競馬場時代のドバイワールドCは、14年間でアメリカ調教馬が8勝と圧倒的に強く、それ以外の6勝もドバイ王族の所有馬で、そのほかの国の馬たちはほとんど付け入る隙がなかった。
しかしメイダンのオールウェザーに変わった最初の年は、ブラジル生産、ブラジル人オーナー、フランス調教という、一概にどこの国の馬とはいえないグロリアデカンペオンが勝ち、2011年はご存知の通りヴィクトワールピサが初めて日本に栄冠をもたらした。そして2012年はゴドルフィンのモンテロッソ、2013年にはメイダンに変わってようやくアメリカ調教のアニマルキングダムが優勝し、昨年は再びゴドルフィンのアフリカンストーリーと、さまざまな国の馬が勝つようになった。
そして今回、興味の対象となっていたのが、果たしてアメリカ的なダートの馬場は、どこの馬に有利に働くのか、ということ。
逃げたホッコータルマエには厳しい流れ
ドバイワールドCに日本から遠征したのは、昨年に続いての挑戦となった日本のダートチャンピオン、ホッコータルマエと、芝以外のコースを実戦で初めて走ることになるエピファネイア。
勝ったのは、シェイク・ハムダン・ビン・モハメド(モハメド殿下の次男でドバイの皇太子)のプリンスビショップで、2着にアメリカのカリフォルニアクローム、3着にもアメリカのリーが入り、馬場がダートに戻って、地元ドバイ王族の馬とアメリカ調教馬が再び台頭したというのは偶然だろうか。
内枠からホッコータルマエが逃げる形になり、勝ったプリンスビショップは、馬群の後方から外を通って徐々に位置取りを上げ、直線突き抜けた。3番手の外を追走し、まくってきた勝ち馬を追って伸びたのが2着のカリフォルニアクローム。直線を向いても先頭で粘っていたホッコータルマエは、勝ち馬から9馬身ほど離れての5着。馬群の中団うしろを追走していたエピファネイアは見せ場なく最下位での入線となった。

▲ホッコータルマエは、勝ち馬から9馬身ほど離れての5着

▲スミヨンが「キックバックで走る気をなくした」と語ったエピファネイアは最下位での入線
勝ったプリンスビショップは、ドバイワールドCには今回が4度目の出走で2011年が10着、2012年が7着、昨年が9着。間の2013年はドバイシーマクラシックに出走して10着という、これまではまったくの脇役だったが、今シーズンはメイダンの新たなダートに2度出走して2着、2着と好走していた。