「意気合いと拍子調子を知らぬ人、馬と馴れ合うことも知るまじ」
頭の中ですべてを解決しようとする、考えさえすればなんとかなると思うことがあるが、なかなかそうはいかない。この世の中、「考える」より「感じる」ことでしか解決できないことが山ほどあるではないか。それに気づいたら、この自分の中に答えがあると信じて、物事を複雑に考えずにおくことだと思うようになった。
競馬の世界にある口伝にこんなのがある。「意気合いと拍子調子を知らぬ人、馬と馴れ合うことも知るまじ」と。騎乗するときは、馬の気持に合わせることの大切さを述べているのだが、レースでファインプレイを見るたびに、この言葉を思い出す。普段のけいこのときに馬としっかり会話ができているのかとか、それまでのレースで人馬がどんな体験をしてきたかとか、そうした「考える」より「感じる」経験値が大きいほど、いざというときにものを言うのだ。
桜花賞のような大舞台で4馬身という差をつけることはめずらしい。レッツゴードンキと岩田騎手は、あのように逃げ切ることを想定してレースに臨んでいたのではなかった。スタートしてみたらどれも行かない、それなら自分から行ってもいい、雨中のチューリップ賞ではかかり気味に先頭に立って他馬の目標にされたから気をつけよう、馬のリズムを大切に、そう感じていたからあのように引きつけてスローペースで先頭に立ち続け、慌てることなく速い上がりをマークできたのだった。岩田騎手はレッツゴードンキの気分を損なうことなく、ひたすら人馬の意気合いを大切にゴールを目ざしたのだった。
多くの場合、競馬は目先の勝ち負けに気を奪われがちだが、大きな目標を前に積み重ねられてきた経験値がどれほどであるか、その見えないところに目を向けなければならない。難しいことなのだが、競馬の奥深さはそこにある。これは、他の競技にはないところだ。騎手が、自分の馬にどんなイメージを抱いていて、どう感じてどう戦おうとしているか。そして、その瞬間に平常心を忘れずにプレイできるか。勝敗の分かれ目がそこにある。かつて、混戦と言われた皐月賞でジェニュインと岡部騎手が演じたプレイにもそれを感じた。