東京競馬場の競馬博物館・特別展示室で、特別展「伝説の騎手・前田長吉の生涯」が開催されている。
初日の4月25日は根岸の馬の博物館で仕事があって行けなかったが、2日目の26日、日曜日に行ってみると、思っていた以上にたくさんの人が来館していた。それも、20代や30代の若い人が多かった。
そして、29日の昭和の日、この特別展と、もうひとつの春季特別展「名手と優駿たち〜騎手と馬の絆〜」を扱うグリーンチャンネルの番組のロケで、また競馬博物館に行った。競馬開催日ではなかったのに頻繁に人が出入りし、長吉の展示を見るためだけに山形から来たという女性もいた。彼女が拙著『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』を持っていたので、サインをもらわせてしまった。
「名手と優駿たち」は10月4日まで開催されるが、「前田長吉の生涯」は6月28日で終了する。展示物が競馬博物館所蔵のものばかりではないので、あまり長期間借りるわけにもいかないということで、この期間になったようだ。
それでも、長吉が愛用していた鞭、長靴、鉛チョッキ、直筆の手紙、前田家に保管されていた写真や賞状、身長や体重などがわかる体力手帳、稼ぎがわかる預金局通帳(これは私も初めて見た)といった貴重な遺品が、2カ月もの間にわたって展示されるのは初めてのことだ。長吉の兄の孫である前田貞直さんの家で保管されている遺品の、ほとんどすべてがここにあると言っていい。それらが、競馬博物館にしかない写真や資料と組み合わせて並べられ、わかりやすい解説パネルもある。
戦前・戦時中の競馬は戦争とともに発展してきた側面もあるので皮肉なのだが、愚かな戦争のせいで若い才能が散ってしまったのは紛れもない事実だ。戦後70年の節目に、そうしたことを念頭に、長吉の体の大きさまで感じることのできる長靴や鉛チョッキなどの近くに立つと、いろいろな思いが胸に湧いてくる。
長吉の体の大きさの話をつづけると、先述した体力手帳に、騎手デビューした昭和17(1942)年の身長が146.6センチと記されている。体重は41キロ。今、JRAには身長140センチ台の騎手はおらず、小柄な印象のある松若風馬騎手でもJRAサイトを見ると151センチ、42.7キロとなっている。
長吉の胸囲は80センチ以上あったので、鉛チョッキはそれほど小さくないが、長靴は女性でも履ける人が少ないのではないかと思うほど小さく、小柄な人だったということがよくわかる。
それに対して、クリフジがダービーを勝った直後にスタンド前で口を持つ写真が残っている栗林友二オーナーは、身長が180センチほどと、当時としては大男だった。また、師匠の尾形藤吉調教師も、元騎手にしては体が大きかった。それだけに、長吉の小柄さが余計に目立つ。
騎手として騎乗したのが足かけ3年、期間にすると実質的には2年ほどしかなかったのに、クリフジでダービー、オークス、菊花賞、ヤマイワイで桜花賞、とクラシックを4勝もした長吉の戦績や、今の松若騎手の活躍を見ると、空気抵抗や鞍上でのブレが小さくなる小柄な騎手からも「天才型」が出やすいのかな、と思う。
これまでは、武豊騎手やクリストフ・スミヨン騎手、田原成貴元騎手、キャッシュ・アスムッセン元騎手、スティーヴ・コーゼン元騎手のように、170センチ以上の長身の騎手から「天才型」が多く出るものと決め込み、また、そう書いてきたのだが、これからはあらためなければならない。
さんざん長吉について書いてきて、何を今さらと言われるかもしれないが、遺品の前に立ち、つくづくそう思った。
特別展示室のディスプレイは、長吉の遺品を効果的に見せる工夫がなされている。棚や、展示タイトルの文字、前述したパネルなどがこのためにつくられ、根がセコい私は、
――これだけでいくらかかったんだろう。
と思ってしまう。
さらに、担当者が何度も依頼や打合せのため八戸の前田貞直さん宅を訪ね、トラックで遺品を輸送し、当然保険もかけられているだろうから、相当なコストがかかっているはずだ。そのほか、ほかの展示同様、ビラやポスター、図録をつくるのにも金がかかる。
それを、競馬開催中は競馬場入場料の200円がかかるが(競馬博物館そのものは無料)、平日はタダで見られるのだから、絶対に見て得する展示だと思う。
長吉の遺骨がDNA鑑定で本人確認され、2006年初夏に八戸の生家に62年ぶりに「帰郷」したのは奇跡である。その長吉にとって、騎手時代を過ごした「第二の故郷」である東京競馬場に、愛用の品が「帰郷」するのは「奇跡のつづき」と言えよう。
展示期間中何度も、「奇跡のつづき」を見に行こうと思っている。