5月7日午前9時15分、ウインバリアシオンが栗東トレセンからノーザンファームしがらきへ出発しました。これまでこの連載で何度となく登場してきたバリさん。とうとう、この日が来たかと思うと…感無量でありました。
バリさんは出発前に獣医さんに脚の治療をしてもらい、痛み止めの薬を施してもらっていました。作業の途中で脚を見ましたが、左脚は明らかに太かった。獣医さんによれば、今より若干腫れは引くものの、いまの太さのまま落ち着くそうです。あと数週間は痛みが残るそうですが、事故から1ヶ月ほどで日常には支障ないくらい回復するとのことでした。よかった。
馬運車が迎えにくると、竹邑さんがいつもと変わらない調子で「さぁ、いくぞバリやん」と声をかけました。そして、松永昌調教師、調教パートナーの中山助手が見守る中、いつものように馬運車に乗り込みました。この当たり前の光景、これが最後なんですね…。
栗東トレセンから旅立ったウインバリアシオン
その瞬間に立ち会い、その様子をこうやってお知らせできるのも、いつも取材に協力してくださる陣営の皆様あってこそ。心より深く深く御礼申し上げます。
せっかくなので、これまでこの連載で書いた記事を振り返ってみました。
2歳時、小倉の新馬戦を1番人気で勝ったころのこと。竹邑さんはバリさんのことを、
「普段はおっとりしているのに、たまにガーッと気合いが入るときがある。でも、走る馬はそういう気の強さを持っているものだからね。大丈夫。全体的に扱いやすいし、いまは未来に期待が膨らんで楽しくてしょうがない」
と話していました。そのころから調教パートナーの中山助手は、かつてない手ごたえを感じていました。
2歳時のウインバリアシオン
「まだ体も薄いし、トモに筋肉がつききっていないので緩い。でも、時計が出てしまうんですよ。まだ、心肺機能の高さと素質だけで遊び遊び走っているかんじ。筋肉がつききっていないので急にトモを落としたり、跳ねるように走ってみたり。伸びしろはかなりありそうですよ。正直、今の段階でダービー出走の手ごたえをかんじています。そんな馬、そうそう巡り合えませんよ」
このあと、忘れられないのは野路菊Sの追い切りでのことですね。竹邑厩務員は「まだ、わからない。まだ、わからない」を連発して、この馬の能力がどこまでのものなのか、半信半疑でした。でも、難なく快勝。ウインバリアシオンの将来が一気に開けた瞬間でした。
「野路菊Sではレース後、すぐに息が入ったよ。まだまだ体も緩いし、気性も子供。これから、すごく伸びるのかもしれないし、このままで成長が止まってしまうのかもしれない。こればかりはどうなるかわからないけど、とにかく期待と楽しみのほうが大きいよ。」(野路菊Sのあとの竹邑厩務員)
やがて、ラジオNIKKEI杯などを経て、青葉賞を勝ち、日本ダービーを目指すわけですが。このころから、ずっと裂蹄との戦いでした。爪に不安があると、思いきり追い切れない。追い切りを手控えた分、ここ一番の勝負のときにわずかな差が出る…。陣営はこのジレンマとの戦いを繰り返していたことでしょう。
3歳春のウインバリアシオン
でも、普段はおっとりと大人しい馬でオンオフがしっかりしていた。無駄なところでエネルギーを使わないからこそ、さまざまな脚元の不安を乗り越えてこれたのだと聞いています。
ダービー2着以降はたくさん報道されているとおりです。辛抱強くて二度も屈腱炎になったのにトレセンに帰ってきて。成績もですが、治療と鍛錬の狭間で耐え切った精神力というのは本当に素晴らしい!その姿を見ているだけでたくさんの勇気をもらいました。
日本ダービーのあとの放牧から戻ったウインバリアシオン
厩舎まわりを牛のようにのそのそと歩くので、同じ場所を周回しているブエナビスタ、ハープスター、エイシンフラッシュらに追い抜かれていたバリやん。もうトレセンでバリさんの姿を見ることはありませんが、もしもいつかバリさんの仔がやってきたならば、すぐに見に行ってこの連載で取り上げますね。
これまでたくさんの感動と勇気をくれたウインバリアシオン、本当にありがとう。