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週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

  • 2004年04月13日(火) 12時11分
 1970年代後半からヨーロッパの競馬をリードしてきたオーナー・ブリーダーのロバート・サングスター氏が、7日(水)、膵臓ガンのためロンドンの自宅で亡くなった。享年67歳だった。

 大手ブックメーカー『ヴァーノン・サッカー・プールス』の創設者ヴァーノン・サングスター氏の後継者として生まれたロバート・サングスター氏は、父から受け継いだ資産を元に、70年代から競馬の世界に参画。更に87年には、ヴァーノン・サッカー・プールスを9000万ポンドで売却。豊富な資金を背景に斬新なアイディアを実行し続け、欧州競馬界に一時代を築いた。

 現当主のジョン・マグナーが一代で築いたかのような印象を受ける『クールモア・スタッド』も、創設したのはサングスター氏とヴィンセント・オブライエン元調教師だ。当時、親から受け継いだ、障害のトップサイヤーを中心に繋養する牧場の当主だったジョン・マグナーを、クールモアの現場責任者にヘッド・ハンティングしたことで、その後の一代帝国の歴史がスタートしたのである。

 77年のザミンストレル、82年のゴールデンフリースと、英国ダービーを2度制覇。アレッジドによる連覇を含めて凱旋門賞制覇が3度、アイリッシュダービー3勝、フレンチダービー2勝等のビッグタイトルを獲得。英国のリーディングオーナーの座に就くこと5回という成功を収めたサングスター氏。この間、ノーザンダンサーの産駒を中心に、アメリカ産の素質馬を買い付けてきてヨーロッパで現役生活を送らせ、種牡馬として高く売却するという、まさに錬金術の如き手法でクールモア・スタッドの経営基盤を確立するという、ビジネスマンとしても類まれなる手腕を発揮したホースマンだった。

 クールモアが商業ベースに乗せたと言われている『シャトル・スタリオン』も、もともとのアイディアを提供したのはロバート・サングスター氏だ。

 また1985年のキーンランド・ジュライセールで、現在も公の市場で購買されたサラブレッドとしては史上最高価格として残っている1310万ドルで、後のシアトルダンサーを購入したのも、サングスター氏を中心としたグループだった。

 後年は、自らの生産組織であるスウェッテナム・スタッドにおける生産と、個人所有の調教場であるマントン・トレーニングセンターにおける育成調教に、より多くの情熱を傾けていたサングスター氏。英国ダービー馬ドクターデヴィアス、英国1000ギニー馬ケープヴァーディ、英国オークス馬バランチーンといったクラシックホースたちが、氏が生産し育成を施した後に売却した馬たちだ。

 4人の子息を含めて6人の子供がいる故人だが、今後その組織がどのように運営されていくかは、現在のところ未定だ。

 葬儀は、19日にロンドン・ナイツブリッジのセントポールスで営まれる予定となっている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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