▲「30年分のプレッシャーから解放された」と林騎手、改めて明かすGIの重みとは
未勝利オープンを連勝し、障害馬として頭角を現していったアップトゥデイト。その勢いで一気に年末の中山大障害に挑戦したいところ、陣営はそこをグッとこらえ、慎重かつ着実な道でGIを狙うことにしました。満を持していざ、中山グランドジャンプへ。恩人であるノースヒルズ前田オーナーの言葉を胸に、林騎手は大舞台に立ちます。(取材:赤見千尋)
(つづき)
「思い切って悔いのないように乗って来い!」
赤見 大目標の中山グランドジャンプまで、一度中山コースを経験させたり、一歩一歩進めていったという感じですよね。今年3月の阪神スプリングJで初めての重賞に挑戦と。
林 これは、重賞を経験させたいというより距離です。長い距離を上手に走れるか試したかったんです。障害のデビュー戦が2900mだったでしょう。ここで一気に3900mですから。
赤見 1000mも違うんですね。さらに中山グランドジャンプになると、4250mですもんね(中山大障害は4100m)。
林 そうそう。そういう意図があったんですけど、ちょっとへぐってしまって…。大事に乗り過ぎました(1番人気4着)。
赤見 いろいろな経験をして迎えたGIだったんですね。林騎手ご自身は、レースを前に胸にくるものはありましたか?
林 レースの週に、(生産者の)ノースヒルズの前田社長から電話があって、「せっかくのGIなんだから、思い切って悔いのないように乗って来い!」って言ってもらったんです。それを聞いたら「ここまできたんだから、精一杯のことをやろう!」って。
赤見 前田オーナーとは、お付き合いが長いんですか?
林 前田社長が初めて馬を持った頃から、僕の師匠だった吉田三郎先生とお付き合いがあったんですね。それで、僕もその頃からお世話になっています。僕の仲人でもありますしね。
赤見 それは相当深いご縁ですね。そういうご縁を大切にされる方ですよね。
林 すごい方ですよね。アップトゥデイトに関しても、最初に(佐々木晶三)先生が「障害に向きそうだな」って言っていて、それを聞いた前田社長が「障害にするなら満明を乗せてやってくれ」って言ってくれたんです。それで僕が乗れることになったんですよ。
赤見 それは、前田オーナーのためにも勝ちたいですね。レース前は、レッドキングダムとアポロマーベリックの2強というムードがありましたが。
林 うん。2強の他にも、なんちゃん(難波剛健)のサンレイデュークとか、(高田)潤のソンブレロとか、メンバーはそろってましたからね。早い上がりを使う馬もいたので、その馬より先に仕掛けなきゃという意識でした。イメージでは2、3番手。実際も思い通りの位置で走れて、早めに仕掛けることもできました。
赤見 これまでとは違う大障害コース。アップトゥデイトの反応はどうでしたか? 最初は大竹柵ですよね?
林 そうです。最初は大竹柵。いつも慎重にしっかり飛ぶ馬なので、全然問題はなかったですね。難関の大生垣も、行き脚がついて完璧にクリアしてくれました。
赤見 今回は落馬してしまった馬も多かったですけど。ハードなコースですし、レース中盤で疲れて来ると余計に?
林 そうですね。疲れから、序盤ほどきれいに飛べなくなるっていうのはありますね。幸い、この馬の場合はその辺りも全く問題なくて。終盤に入っても手応えが良かったです。
赤見 早めに先頭に立ちましたもんね。最終障害前には先頭に立って、4コーナーでアポロマーベリックを離しにかかって。
林 うん。気持ちの中では、4コーナーをゴール板くらいに思って乗っていました。
赤見 そこからさらにぐんぐん離して行きましたね。
▲赤見「アポロマーベリックを早めにかわして、ぐんぐん離して行きましたね」
林 あそこまで離してるって、気がつかなかったんです(苦笑)。とにかく「早くゴール板きて!!」って。あの短い直線がすごい長く感じました。
赤見 緩めることなく、追ってらっしゃいましたね。
林 いや、もう、ここまできたら絶対に負けたくなかったので。なんとしても勝ちたいと思ってたので、必死だったんです。だから、振り向いた時に「ええーーーーっ!? こんなに!?」って思いました。そんなことも気がつかないなんて、何十年馬に乗ってんだって感じですよね(苦笑)。
赤見 林騎手ほどの方でも、やっぱりGIとなると違うものなんですね。
林 それはそうですよ。だって、30年やってて初勝利ですもん。でも、負けちゃったんだよね。
赤見 負けちゃった?
林 うん。ほら、アメリカのケンタッキーオークスを勝った、カーワン・クラーク騎手。56歳かな。40年近い騎手人生で、初めての大きなGIを勝ったってね(その前のアシュランドSが人生初のGI勝利)。
赤見 そうか、向こうが10年長かった…。
林 そうそう、10年も。僕も相当だと思ったけど、負けてしまいましたね。
積もり積もった30年分の悔しさ
赤見 いろいろなご苦労をされてる方が大きな勝利を掴むと、ファンの方も感動すると思うんです。表彰台に立った時とか、歓声は聞こえましたか?
林 結構聞こえました。ただもう、舞い上がって心が躍ってたので、よく覚えてないですね(笑)。
赤見 心が躍って(笑)。でも本当に、表彰式もインタビューも感動的でした。ご自身で映像はご覧になりましたか?
林 恥ずかしい……。ちょろっと見たんだけど、やっぱり恥ずかしくてすぐ止めたもん。ああいうところで上手くパッとしゃべれないね(苦笑)。
赤見 いやいや。でもそれが、30年の重みとGIの重みなんですよね。感動させていただきました。周りの方も喜ばれたでしょうね。
林 そうですね。当日嫁さんは家にいたんですけど、電話もすごかったみたいです。あとは花もたくさんもらって。オーナーにも喜んでもらえましたし、(佐々木)先生も僕が30年勝ってないの知ってるから、一緒に喜んでくれました。
赤見 佐々木厩舎で障害馬って、久しぶりですもんね。
林 障害馬を育てるのが16年ぶりってね。障害の重賞は今回が初めてですもんね。
赤見 レース直後に、林騎手が西谷騎手と握手されていたのも印象的だったんですが、障害騎手の皆さんって仲良いですよね。
▲戦友・西谷誠騎手とガッチリ握手、お互いを称え合う障害騎手の絆
林 仲良いですね。みんな喜んでくれました。でも僕は…、人が勝った時は喜べなかったです(苦笑)。いや、口では「おめでとう」って言うんですよ。でも、心では「くそっ」みたいな。
赤見 そうですよね。勝敗のある世界ですもんね。西谷騎手も「くそっ」って思ってたかもしれないですね(1番人気レッドキングダム騎乗、7着)。
林 いや、彼はたくさん勝ってるから、そんなことないでしょう(笑)。
赤見 GIを勝たれて、ご自身の中で変化はありますか?
林 なんか、気が軽くなったっていうかね。今まで肩にのしかかっていたものが外れたみたいな。ずっとプレッシャーも感じていましたからね。勝てない勝てない、でね。2着が2回ぐらいあるのかな。いつも逃がしてたので、その悔しさが積もり積もって30年分、どんっと肩にのしかかってました。
赤見 障害のGIって年に2回しかないですし、林騎手自身、平地の免許を返上されていますから、GIのチャンス自体が少ないですもんね。また、そこを目指せる馬と出会わないといけないわけですし。
林 今回は、馬が強かった。それが一番大きいです。まあ、まさかあそこまで強いとは思ってませんでしたけどね。勝てたとしても接戦かなと思っていたので。終わってみれば、本当に強かったです。
赤見 ジャンプ界に新王者誕生ですね!(文中敬称略、つづく)