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林満明騎手(3)『平地の騎手免許を返上 “障害一筋”への覚悟』

  • 2015年06月22日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲“職人”林満明騎手が30年間の騎手人生を振り返る


中山グランドジャンプを制し、障害騎手として大きな夢を実現させた林騎手。デビューの頃から障害に乗り続けている林騎手は、まさに“職人”と言えます。今週は、競馬学校の第1期生としてデビューした新人時代のお話から、須貝師や柴田善騎手など豪華同期メンバーとの関係、そして、大きな区切りとなった平地免許返上ついて伺っていきます。(取材:赤見千尋)


(つづき)

「まだ騎手やってるんか?」


赤見 林騎手は、今年の10月で49歳になられるんですね。ジョッキーさんって、若く見える方が多い!

 そうかな(照笑)? まあでも、30年も騎手続けてるんだからね。振り返ると、ずっとマイペースで乗って来ている感じです。

赤見 記念すべき競馬学校の第1期生ということで、当時はもう、何もかもが初めてだったんじゃないですか?

 競馬学校生としては初めてだけども、その前の馬事公苑から来た先輩たちがいましたのでね。先輩にはよう怒られました。怒られたっていうか…、いじめられたっていうか(笑)。

赤見 厳しい学校生活でしたか?

 僕らの時は、まだ結構きつかったんじゃないですかね。食事制限もきつかったし、教官も厳しかったですし。

赤見 同期は何人いらっしゃったんですか?

 学校に入ったのは13人で、12人がデビューしたのかな。

赤見 すごいメンバーですよね。石橋調教師に須貝調教師に…

 あとは岩戸、武藤とか。もう調教師ばっかりですね。

赤見 この中で林騎手はどんなタイプでした?

 どんなタイプ? ごくごく普通に流れに乗っているような感じかな。怖い子とか威張ったような子はいなくて、みんな仲良くやってたと思います。

赤見 今でも交流はあるんですか?

 いやいや、もう全然。競馬場とかで会ったら「よう」って言うぐらいで。「(管理馬に)乗せてくれよ」とか「まだ騎手やってるんか?」とか、そういう感じです(笑)。

赤見 そうか、同期の中で現役ジョッキーは林騎手と(柴田)善臣騎手のおふたり。

 そうなんだよね。「あいつががんばってるんだから、俺ももうちょっとがんばろう」とか、「あいつより長くやろうかな」って思うし、やっぱり同期っていうのは刺激になるもんですね。まあその相手が、善臣しかいないんですけど(笑)。

赤見 林騎手のひとつ下の期ですけど、熊沢騎手もそういうことをおっしゃっていました。「ノリががんばってるから自分もがんばりたい」って。そう言えば、善臣騎手が去年GIを勝たれて(安田記念)、今年林騎手も勝たれてといういい流れできていますね。

 しかもあいつ、同期のところで勝ったもんね。ジャスタウェイか。

赤見 たしかに、須貝調教師の管理馬で。でも、なんだかいいですね。調教師の方もがんばっていらっしゃって、ジョッキーのおふたりもがんばってという。

おじゃ馬します!

▲知られざる第一期生の同期話で盛り上がる


未だに忘れられない無念の一戦


赤見 デビューは吉田三郎厩舎からということでしたが?

 兄弟子が今調教師の中竹さんなんですよ。厩舎に障害馬がいて、中竹さんがよく乗られていたんですけど、中竹さんが乗れない時に馬を回してもらったりして。あの頃は、とにかくがむしゃらだったなぁ。1年目から障害もずっと乗ってましたしね。とにかく数を乗りたかったんです。

赤見 デビューしてすぐのジョッキーが障害に乗るって、危なくないんですか?

 いやいや、昔はね、みんな新人の時から障害にも乗ってたんですよ。乗ってない人の方が少なかったぐらい。

赤見 そうなんですか?! でも、そう言えば、ノリさんもデビューした頃は障害も乗られてたって。しかも勝たれているんですよね。

 そうそう。善臣も乗ってたはずですよ。当時はみんな乗ってたんです。それが自然の流れでしたね。それに、平地と障害の両方に乗れるっていうのも、当時は楽しかった。まあ、障害っていうのは、良い事もあれば悪い事もあるんですけどね。たとえば、馬の嫌なところを先に見てしまったら、その馬で障害へ行くのはちょっと嫌だしね。

赤見 嫌なところ??

 いろいろな癖とかあるでしょう? 何て言うのかな、突然暴れたりとか、気が悪くなったら止まってしまうとか。平地でそういうところを見せていなければ、障害に行っても気がつかないで乗れる時もあるんだけど、先に嫌なところを知ってしまうと、「こいつ、こういう癖があるんだ」っていうのが頭に入ってしまって、マイナスになることもあります。

赤見 馬って意外と、悪い癖を知らないで乗ってると出なかったりするものですか?

 たまにしますね。知ってしまってこっちが構えると、余計にやってしまう時もあるので。それだったら後から聞いて、「えっ? そんな癖があったんか!」という方がまだいいかなって思うんですけど。あまり気にし過ぎないで、その馬の良いところを見つけていくのがいいですね。

赤見 なるほど。デビュー3年目で優秀障害騎手賞を受賞。若手の頃から障害に対しての技術が高かったということですね。

 というか、2年目に京都大障害を勝たせてもらったし、暮れの中山大障害でも2着に入って、それで目立ったんです。流れが良かったんですね。それにこの頃は、減量3kgも持ってましたので、そうすると馬が他の馬より俊敏な動きをしてくれるんです。だからレースも楽しかったですよ。

赤見 これまでたくさんのレースを経験されていますが、中でも忘れられない一戦というのはありますか?

 やっぱり、タマモグレアーの中山大障害(2010年)かな。

赤見 さっきお名前が挙がった中竹調教師の管理馬。

 そうそう。この時が2着でね。それもハナ差の。なんで4000m以上走ってきて、たったハナ差で負けるんやっていうね。大差ならまだしも、ハナ差…。長い道中のどこかで何とかならんかったのかな、みたいなね。

おじゃ馬します!

▲勝ったバシケーンと雄叫びをあげる蓑島騎手(外)、2着惜敗に悔しがる林騎手(内)


赤見 かなり悔しい思いを。

 レース後にいろいろ考えましたよ。「あそこでもうちょっと出して行った方がよかったんじゃないか」とかね。どうしてもハナ差っていうのが…。あれはちょっと、未だに忘れられないですね。

赤見 デビューから30年間ずっと、障害に乗り続けていますが、そんな中で2011年に平地の騎手免許を返上してらっしゃるんですよね?

 あぁ、そうですね。そういうことにしました。

赤見 どんな思いがあってだったんですか?

 乗り馬も少なくなってましたしね。あとは、免許を持っているだけでいろいろ頼まれたりもするんですけど、かと言って実際にレースに乗せてもらえるわけでもないですからね。そういうのも、自分にとってよくないかなと思って。まあ、小さなプライドなんですけどね。そういう思いが積もり積もってという感じですか。それで障害一本にしようと決めたんです。

赤見 大きな決意だったんじゃないですか?

 いや、一度決めたらもうそんなに。最後はあっさり返した感じですよ。今はもう、平地に関しては乗りたいという気持ちは全くないですしね。かえって障害だけの方が、レースも1日1頭で集中できるというか。自分のペースには合ってます。調教も障害馬しかやっていないので、自分のやりたいようにやらせてもらってます。それもやりがいがありますね。

赤見 本当に障害一筋、まさに“職人”ですね。

 いやいや、そんなにかっこ良くないですよ。まぁ、趣味の延長みたいな感じですかね。好きなことをしてお金ももらえれば、最高でしょう(笑)。(文中敬称略、つづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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