▲トウショウボーイの子どもトウショウフェノマの今をご紹介
縁のあるトウショウボーイの子どもを
トウショウボーイ、シスタートウショウ、スイープトウショウなど、数々の名馬を送り出してきた名門トウショウ牧場の閉鎖は、メジロ牧場閉鎖のニュースが流れた時と同様に、関係者やファンに大きな衝撃を与えた。
10月いっぱいで馬たちの移動も終え、1965年創業以来50年続いた牧場の歴史は幕を降ろした。移動した馬たちの中には、功労馬として同牧場で過ごしていたトウショウオリオン(牡22)とマザートウショウ(牝25)もいた。この2頭は、認定NPO法人引退馬協会の支援を受け、それぞれ新天地で生活を始めている。(
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引退馬協会の活動は、イグレット軽種馬フォスターペアレントの会時代を含めておよそ18年に及ぶ。現在引退馬協会では1頭の馬をたくさんの人でささえる「フォスターペアレント制度」や、引退馬の繋養を対外支援の形で支える「引退馬ネット」、そして東日本大震災の被災馬への支援等、様々な活動を行ってきた実績がある。トウショウオリオンとマザートウショウも引退馬協会のフォスターホースとなり、たくさんの人々にその生を支えられる「フォスターペアレント制度」により、余生を送ることになったのだった。
既に引退馬協会のフォスターホースになっているトウショウ牧場産の馬がいる。トウショウフェノマ(セン23)だ。
トウショウフェノマは、1992年5月29日、父トウショウボーイ、母ポリートウショウの間に生を受けた。美浦の尾形充弘厩舎から1994年7月の新潟でデビューして初陣を飾ると、続く新潟3歳S(GIII・旧馬齢表記)にも勝利して2連勝で重賞制覇を果たした。3戦目で3歳チャンピオン決定戦の朝日杯3歳S(GI)に挑んだが、サンデーサイレンスの初年度産駒のフジキセキの5着に敗れる。
年明けの京成杯(GIII)で、アクシデントが起こった。鞍上が異常を感じて競走中止となったのだ。検査では幸い異常は発見されなかったものの、ここから同馬の歯車が狂い始めたのか、弥生賞(GII)6着、皐月賞(GI)は出走取消、NHK杯(GII)7着、日本ダービー(GI)10着と、クラシック路線を歩むも、掲示板に載ることすらできなかった。その後は脚部不安等もあって、4戦したのみで競走馬登録が抹消されている。
引退馬協会代表の沼田恭子さんは、トウショウフェノマがフォスターホースとなった経緯をこう話す。
「あの頃はフォスターホースとして繋養する馬を選んでいたわけではないんです。縁を大切にしていて、出会ってお願いしたいですと言われる馬を引き受けるというやり方をしていました。
私の義父がトウショウ牧場の創設に関わっていたこともあり、私自身、トウショウ牧場に縁がありました。そんなこともあってトウショウボーイの子どもを1頭でも受け入れられたら良いねという話もしていました。するとちょうどトウショウ牧場の志村場長から、肩を痛めて牧場での調教パートナーのようなお仕事ができなくなったフェノマをフォスターホースにしてもらえたら…というお話があったんですね」
こうしてトウショウフェノマは、3頭目のフォスターホースとして乗馬倶楽部イグレットで繋養されることとなった。
▲千葉県香取市にある乗馬倶楽部イグレット
▲同クラブで暮らすシルククラウン
▲同じく、ヒシプレンティ
「最初は人も乗せないような、本当にものすごくうるさい子でした。物見をしてビックリしたり、少し変わった行動をする子なんです。物に対してだけではなく、人に対しても強がりな態度をするんです。それは強いのではなく、あくまで強がりなんですけどね(笑)。それで当初は手に余すような大変なところがあったのですけど、年を経るごとに人任せという感じの性格になってきました」
と、沼田さんはフェノマの性格の変遷を説明してくれた。
競走馬のセカンドライフを考える
引退名馬のHP(meiba.jp)の飼養者によるトウショウフェノマの近況には、毎年のように「自由人」という記載がある。それが無性に気になっていたので、フェノマがどのくらい「自由人」なのかを沼田さんに尋ねてみた。
「自由人はもう何年もやっています。朝、馬房掃除をしている時に、馬房の扉を開けて自由に出ていけるようにしてあります。敷地内を自由に行動しても大丈夫な馬が何頭かいるんですけど、それらの馬たちと一緒にですよね。だからクラブの中をどこ歩いてもいい、どこに遊びに行っても良いという状態にしています。来たばかりの頃から考えると、全く違います。段々段々人寄りになってきて、それができるようになりました。
本来なら会員さんが乗馬体験できるようにするのですけど、肩や腰が悪かったのでそのようなことも早めに止めたんですよね。そうしたら、ますます性格がおっとりしてきて、自由人として行動できるようになったんですね。
最近は腰がだいぶ悪くなっていますから、以前ほど自由にスタスタ歩けないですけど。それでも、人が曳いて歩く時には後ろから尻尾を持ってバランスを取って、後ろ脚がガクッとならないように気をつけているのに、自由人の時にはわりとスイスイ歩いています。人がいると頼りたいという気持ちが強いようだと担当者も言っていました」
イグレットを訪ねた時は残念ながら自由人の時間帯ではなかったようで、馬房の中のフェノマとのご対面となった。腰が悪いというのもあるだろうが、馬房の窓から外を眺めるその表情は、若い頃のうるささを微塵も感じさせないほど穏やかだ。額にちょこんとあるハート型の星が可愛らしい。
並びの馬房には、フェノマの自由人仲間だった芦毛のパラティン(セン)もいる。西ドイツで生まれたトラケナー種で、1980年生まれだから35歳だ。馬房の中で自分の世界に浸っていたパラティンは、最後までカメラの方に顔を向けてはくれなかったが、35歳の後ろ姿には独特の雰囲気が漂っていた。
▲35歳パラティン、独特な雰囲気の後ろ姿
35歳のパラティンにはまだ及ばないものの、トウショウフェノマも23歳と高齢の域に入ってきた。
「今後はなるべく生活の質が悪くならないように治療をし、運動をしながらという形で考えています。獣医さんと綿密に話し合って、1番良い方法を取るというのが引退馬協会の考え方でもあるんです。ですから今の状況の中で何が1番良いのかというのを、獣医さんとはやり取りをしています。それは会員の皆様の会費があるからできることで、個人ではなかなかできないことも、引退馬協会ではやらせてもらっています。本当に会員さんのお陰ですね。現在フェノマは針治療を行っていますけど、将来どうなりそうかを予測して、その予防のために今できる治療をするというケースもありますね」
しかし高齢馬を飼養するにあたっては、課題もある。
「海外もそうかもしれないですけど、高齢馬のケアの仕方は日本ではまだ確立していないんです。現役の競走馬についてはJRAが研究していますけど、年を取った馬たちの生活レベルを上げていくための研究はまだなされていないと思います。高齢馬はどのような栄養素を取った方が良いのか、あるいは何を与えない方が良いのかなど、わかっていないことが多いですね。なので獣医さんと相談をしながら、手探り状態でやっているという状況です」
引退した競走馬のセカンドライフについて、日本でも海外でも関心が高まりつつある現状を考えると、高齢馬がこれまでよりも増えていく可能性が大きい。それだけに年を重ねた馬たちの生活の質をなるべく落とさぬよう、そして安心して高齢馬を飼養できるように、高齢馬のケアについても研究がなされていくことを望みたい。
ひと通り取材を終えてフェノマに再びカメラを向けた。
「この子は人気がありましたよね。会員さんの中にはフェノマじゃなきゃという方が何人もいたくらいです。フォスターホースになった当初から、ずっと里親として持っていて下さる方もたくさんいるんですよ」
と沼田さんが差し出す人参を、おっとりした仕草でフェノマは口に含んだ。
競走馬時代のトウショウフェノマは、走るたびに今度こそやってくれるのではないかと人々に思わせる何かがあった。そのたびに裏切られるのだけど、そこがまた人を惹きつけたのかもしれない。やはりトウショウボーイを父に持つ三冠馬ミスターシービーと同じ白いハミ吊りを装着していた姿も、ファンに期待を抱かせる要因の1つだったようにも思う。
そのトウショウフェノマは今、競走馬時代のことなど忘れたかのように、多くの会員さんや乗馬倶楽部イグレットのスタッフに大切にされながら、自由人として日々を過ごしているのだった。
▲自由人トウショウフェノマは、今日ものんびりと暮している
(取材・文:佐々木祥恵)
※トウショウフェノマは見学可です。
乗馬倶楽部イグレット
〒287-0025 千葉県香取市本矢作225−1
直接訪問可 月曜日休み
見学時間 10:00〜16:00
電話 0478-59-1640
NPO法人引退馬協会
住所は乗馬倶楽部イグレットと同じ
メールアドレス info@rha.or.jp
公式HP
http://rha.or.jp公式Facebook
https://ja-jp.facebook.com/nporha引退名馬のトウショウフェノマの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1992102138
【次回公開日のお知らせ】
次回の「第二のストーリー 〜あの馬はいま〜」は11月24日18時の公開予定となっております。予めご了承くださいますようよろしくお願い申し上げます。