父は公営佐賀競馬の名手、兄はJRA騎手という競馬一家に育った鮫島克駿ジョッキー。昨年は39勝を挙げ、見事JRAの最多勝利新人騎手を獲得しました。2年目も目が離せない「キングシャーク2世」の素顔に迫ります!
(取材・文/大薮喬介)
デビュー戦よりも緊張した授賞式
――「最多勝利新人騎手」受賞、おめでとうございます。
鮫島駿 ありがとうございます。多くの関係者の方々のサポートがあってこそ獲れた賞ですので、本当に感謝しています。
――受賞式はいかがでした?
鮫島駿 ジョッキーになってから、これだけ華やかな場所は初めてだったので、とても緊張しました。コメントもスピーチだと思っていたのが、質問形式だったので、困りましたね。正直、どのように答えたか覚えていません(苦笑)。
――授賞式の日はご両親も来られていたのですか?
鮫島駿 はい。JRA賞という大きな授賞式に両親を招くことができたので、すごくうれしかったです。ただ、父(鮫島克也ジョッキー)が、待合室で先々週のレースについて色々とアドバイスをしてきたのには参りました。「今、ここで言う!?」と思いましたよ(笑)。

JRA賞という大きな授賞式に両親を招くことができたので、すごくうれしかったです
――お父様はよくアドバイスをしてくれるのですか?
鮫島駿 ほぼ毎週電話がかかってきて、いろいろとアドバイスをしてくれます。兄(良太ジョッキー)とも競馬の話をよくしますね。父はすごく優しくて、怒られた記憶がないんですよ。3人兄弟で姉もいるんですが、兄も姉も父に怒られていたのに、僕はないんですよね。そういえば、兄にも怒られたことがないです。
――まさに末っ子ですね。
鮫島駿 よく言われます(笑)。
――騎手を目指したきっかけは、やはりお父様の影響ですか?
鮫島駿 4歳の頃に父がワールドスーパージョッキーズシリーズを優勝して、めっちゃくちゃかっこよかったのを今でも鮮明に覚えています。それに小さい頃から兄が騎乗するレースも観ていたので、自然とジョッキーになろうと思っていましたね。だから、昨夏に父と兄と一緒にレースに乗った時は、すごくうれしかったですし、感動しました。
(8月29日の小倉9R・ひまわり賞)
――昨年を振り返って、どんな年でしたか?
鮫島駿 アッという間でした。デビューしたのが小倉だったんですが、僕は小倉競馬場の乗馬センターに通っていたんです。だから、その日は友人であったり、乗馬センターの先生や先輩や後輩、たくさんの方々が応援に来てくれて、パドックの声援を聞いたときに「ああ、とうとうデビューしたんだな」と実感がわきましたね。
――デビューの日は、授賞式と同じように緊張されました?
鮫島駿 それほど緊張はしませんでした。それよりも、デビュー日に4鞍も騎乗馬を用意していただいたので、感謝の気持ちのほうが大きかったです。とくに自厩舎(浅見厩舎)のアクアマリンブレスは人気もしていて、チャンスはあると思っていました。ただ、この馬は時計がかかった馬場のほうがいいんですが、その日は不良馬場で時計が速くて…。道中はいい感じだったんですけど、結果は6着でした。やはり競馬はすべてが噛み合わないと勝てないんだなと、競馬の難しさを実感しました。
――初勝利は、デビュー3週目の中京2R・3歳未勝利(タピエス)。自厩舎の馬で同期一番乗りを果たしましたね。
鮫島駿 同期には負けたくないと思っていたので、一番乗りはすごく意識していました。それに2週目が1鞍、3週目の土曜日は1鞍の騎乗だったんですが、どちらも自厩舎の馬で、本当にバックアップしていただていると感じていたんです。だから、余計にうれしかったですね。

本当にバックアップしていただていると感じていたんです。だから、余計にうれしかったですね
――好スタートからスッと下げて、4コーナーでも持ったまま。デビューしたばかりの新人とは思えないほど落ち着いた騎乗でしたね。逃げた馬が粘って、なかなか交わせませんでしたが、そこでもあわてないでキッチリ追っているように見えました。
鮫島駿 道中はあわてずに乗ることができましたね。でも、最後の直線はガムシャラでしたよ。4コーナーで「いい手応え」だとは思っていましたけど、勝ったことがなかったので、この手応えで勝ち負けできるか、わからなかったんです。最後の最後で交わせたのは、馬が頑張ってくれたおかげですね。
【次回のキシュトーークU25は!?】
引き続き、去年を振り返っていただき、印象に残っているレースや騎乗停止になったことについて語っていただきます。